それは、大抵の場合、自己の執着心から生み出されるものだと思います。
ヒトモノコトすべてにおいて、その苦悩の原因を突き詰めて考えていけば、自身の執着心が原因であるときっと誰もが気づくはずです。
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じゃあ、その執着心とどう向き合えばいいのか。
それが次の課題になります。
この点ぼくは、執着心それ自体を「断つこと」「捨て去ること」が大切だと考えて生きてきました。
比較的なんでも未練なく断つことができるタイプなので、潔くバザバサと捨て去ってきたものはとても多いです。
その判断によって、得られた効果も数知れず。
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ただ、とはいえ容易に断つことができないモノだからこそ、そこに執着心が生まれているわけですよね。
今の自分が感じている苦悩やデメリットと同じぐらい、大きなメリットがそこにあると感じているから、執着してしまうわけですから。
だからこそ、「断つ」方がいいと思いながらも、そのままズルズルと続いてしまうのです…。
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でも、最近になってやっと気づいたことがあります。
執着心との向き合い方は、「断つ」や「捨て去る」だけでなく、「離す」も一つの手段なのではないかと。
いや、もしかしたら一番大事なことは、この「離す」ことなのかも知れない。
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具体的には、自分自身にベッタリとくっついてしまっている状態から、まずは「剥がす」のです。
そして、その剥がれたモノからある程度離れてみて、自分自身の焦点距離が合うところから、じっくりと眺めてみる、そして観察してみる。
客観的に観察できるようになったら、また徐々に近づいていってみる。
この時の自分は、もう執着していたころの自分とは別人なのだから、必ず新しい「関係性」をそこに築くことができるはずです。
ただし、一定の距離を超えると、また似たような執着心が生まれてくるはずなので、その距離感を覚えておいて、近づきすぎてしまった分だけまた少し距離をとってみて、ゆっくりと剥がしていく。この繰り返し。
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この適切な距離感を保つことこそが、実は自分の執着心と向き合ううえで、とても大切なことなのではないかと気がつきました。
つまり「一生涯を通じて、微調整し続ける」その胆力を持ち続けることこそが、正しい執着との向き合い方なのかもしれないなあと。
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ブッダは、どんなに好待遇を受けたとしても、都には泊まらずに、郊外に寝泊りしながら、必要な時だけ、都に訪れていたそうです。
「なぜわざわざそんな面倒なことを…」とこの話を聞いたときは思ったのですが、この距離感を保つ方法をきっと実践していたのだろうなあと思います。
東京のような都会に「暮らす」から、都会に「通う」ようになってから、その意味合いがとてもよく理解できるようになりました。
そして、こうやって考えてくると「断 捨 離」という言葉は、本当に良くできているなあと感心してしまいます。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考になったら幸いです。
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