現代は、「アドバイザー」という肩書で活動しているような、実質中抜き業者のポジションの人間がひどく嫌われている世の中です。

たとえば、わかりやすいところでいくと、クライアントの状況は関係なく、初めから売りたい商品が先に決まっていて、そのキックバックをあてにして生きているフィナンシャル・アドバイザーなどがそれにあたります。

他にも銀行の窓口や、証券会社の営業担当者、保険の営業マンなんかも嫌われがちですよね。

基本的にこのような肩書で活動しているひとたちは、自分の利益のことしか考えておらず、一切信頼に値しないから、ネット銀行やネット証券、ネット保険で直接取り引きしたほうが良いと広く語られるようになったのが、昨今の潮流だったかと思います。

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これはYou Tuberなどもそうですが、彼らにとって基本的には相談者や視聴者、ユーザーはというのは、自らの利益のダシに使うための存在にほかならない。

ギブアンドテイクの話に置き換えると、彼らは自らの情報を頼りにしてくれているひとたちは、自らがテイクするための道具に過ぎないと思っているわけですよね。

そこに相手目線というのはほとんど存在していないか、完全に二の次です。

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さて、ここまで、なぜアドバイザーというポジションが嫌われるのか、その現状の認識のすり合わせをしてきましたが、これで今日のタイトルの意図が理解してもらえるかと思います。

アドバイスをしてくる人間が不要なわけではなく、ただそのような騙すような「構造」が悪なだけだと。

この点、最近読んでいるダニエル・クロスビーという方が書いた『富の法則』という本のなかに、とてもおもしろい記述がありました。

みなさんが想像するフィナンシャル・アドバイザーの話とは少し異なり、意外な発見にもつながると思うので、少しだけ本書から引用してみたいと思います。

ファイナンシャル・アドバイザーを利用する最大のメリットは、資産運用よりもむしろ行動コーチとしての側面にある。
(中略)
ファイナンシャル・アドバイス・サービスの利用者は、非利用者に比べて長期的な投資計画を守る可能性が1・5倍以上高い。こうした投資計画へのコミットにより、資産は時間の経過とともに増えていく。ファイナンシャル・アドバイスのサービスを4年から6年利用した人の場合、非利用者に対する(アドバイスに起因する)運用成績の差は1・58 倍になる。
(中略)
現代では、ネット情報などを通じて、たとえば身体を鍛えるためのトレーニング方法を簡単に調べられる。同じように、幅広く多様化した資産クラス〔訳注/投資対象である資産の種類や分類のこと〕 に投資する方法を探すのも難しくはない。     しかし、知識さえあれば適切な行動ができるのなら、米国は先進国のなかで最も肥満の多い国ではないだろうし、老後不安の問題もこれほど高まっていないだろう。適切な知識を持つことはスタートとしては重要だが、計画通りに行動することをサポートしてくれる個人的なコーチはさらに重要なのだ。     


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これは、本当にそのとおりなんだろうなあと思います。

もちろん、ここでくれぐれも誤解しないでいただきたいのは、だから資産運用に必ずフィナンシャル・アドバイザーを雇えとかそういう話ではないです。そこはあくまでも個人の自由。

ここで言いたいのは、「あとは実行するのみ」という事柄のようなことであったとしても、これだけ結果が異なるということでもあるということなんですよね。

逆に言えば、パーソナルトレーニングジムなんかもそうですが、「あとは実行するのみ」という事柄のほうが、実はアドバイザーやコーチの役割(というより視線やまなざし)が、非常に重要でもあるということでもあるということだと思います。

ただ、現代は、そのようなアドバイザーやコーチの役割を自らの肩書にしている人間たちが、みんな案件ベースで生きてしまっている事自体が諸悪の根源であり、現代の一番の問題なんですよね。

ここが今日一番強く強調したいポイントです。

アドバイスやコーチングそのものが、悪なわけでは決してない。

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この点に関連して、こちらも最近読んでいる別の本で、いま飛ぶ鳥を落とす勢いの心理学者、東畑開人さんの「ふつうの相談」という本の中に、「2枚のカード」の話が出てきます。

東畑さんは、「心の臨床には、一枚のカードの罠に陥りやすいところがある」と言います。こちらも、本書から少しだけ引用してみたいと思います。

必要なのはカードが二枚あることであり(三枚以上あっても構わないが、認知容量の限界というものはある)、最悪一枚しかカードがないとしてもそれを「切らない」という選択肢をもっていることである。精神分析の有用性を知るとは、それがいかなるときには無効であり、有害であるかを知ることである。すべてを認知行動理論で解釈し、認知行動療法によって解決しようとするとき、その臨床家は呪術師としては一流かもしれないが、現代の専門家システムにおいては「素人」の域を出ていないのである。


このお話も、本当にそのとおりですよね。

カードを切らない選択を、自分のためにしてくれるひとと、自分自身がちゃんと出会えるかどうか、です。

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で、ここでの問題は、そんな人間とどうやって巡り合えば良いのか。

ここがAIのアシスタントに置き換わるのは、もう時間の問題だと思いますが、それ以上に視線やまなざしが何よりも重要です。

専門知をともに共有し、アドバイスし合うことは、人間社会において絶対に必要であるからこそ、そのための信頼性を構築するための空間が必要になります。

僕はこれこそが、「コミュニティ」の役割だと思っています。

過去10年程度、インターネットやSNSが発達し、アドバイザーたちの悪事を暴露してくれて、直接取り引きできるようにしてくれたこと、その民主化の恩恵を受けられるようになったことが大きかったことは間違いない。

だけれどもそのおかげで(せいで?)全員が、自分で判断をし、自分で自分自身を律しなくちゃいけなくなったわけです。

つまり完全にコミュニティが解体されてしまったわけです。厳密には、資本の論理でコミュニティ自体が内側から腐っていたことは80年代ぐらいから間違いないのですが、その腐った部分が完全に切り落とされて、本当に各人が裸一貫で投げ出されている状態が、まさに今。

言い換えると、それぞれがバラバラになったあとからの、コミュニティの復興フェーズがまさに今だと思っています。

だからこそ、再度ちゃんとアドバイスをしてもらえるという信頼関係を構築していくことが大事だなあと。

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そのためには逆説的なんだけれども、まずは、最初から相談事ベースで出会わないことが本当に重要だなあと思います。

まずは、人と人として、それこそ「ふつうの相談」の中で信頼関係を構築する必要がある。

たとえば、わかりやすいところで行くと、ローカルに行けば昔なじみの友人同士でビジネスを行っている現場を頻繁に見かけます。

それは、相手が裏切るはずがないとわかっているからですよね。(もっと言うと、同じコミュニティに属してしまっている以上、裏切るメリットがお互いにほとんどない状態になっている)

で、その信頼関係というのは、一体何で生まれているのかと言えば、幼少期から所属している地域コミュニティでつながっていることのはずです。

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当然、こっちはこっちで「談合」など、あまり良くない方向に流れる可能性も高いから、注意は必要なのだけれども、どちらにせよ、まずはここに集う人間は一定の信頼をおくことができる。

そうやって専門家とクライアントという関係性ではなく、顔のある固有名のある存在としてつながること。

そのつながりの中で、各人の専門知(技能も含む)がしっかりと生かされる環境が、今ものすごく大事だなあと思います。

それが、僕がつくっていきたいコミュニティの一つのあり方でもあります。

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裏切らない関係性、案件のダシに使われない関係性を、再度イチから丁寧に構築していくこと。

自らの目先の利益のためにコミュニティからテイクすること自体がそもそも割に合わない状態をつくり出し、相手に最大限のギブをして、継続的に所属しつづけていられることのほうが巡り巡って、自分にも最大限の恩恵があると本気で信じられる空間があったらいい。

それはときに、ペイ・フォワード、つまり未来の子どもたちにも自然と繋がっていくと思います。真の意味で「共有知にする」っていうのは、こういうことなんじゃないのかなあと。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。