昨日、こんなツイートをしてみました。

僕の勝手な印象ですが、西野さんは、詰将棋をするようなビジネスを華麗に行う方だと認識しておりまして「ああすれば、こうなる」を徹底する方という印象。

つまり、ブリコラージュの対局にある「エンジニアリングの鬼」みたいな存在が西野さんだと感じています。

それは以前、以下のVoicyの中でも語ったことがあります。
その西野さんが、ここにきてブリコラージュに興味を持ち始めた。

逆に言えば、エンジニアリング思考を突き詰めた結果、ブリコラージュ的な発想に辿り着いているというのも非常に興味深い変化だなあと思います。

そもそも、ブリコラージュという概念自体が何なのか、それを詳しく知りたい方はレヴィ・ストロースの「100分de名著」が一番わかりやすいかと思います。

中沢新一さんが講師役をつとめていて、堅苦しい感じではなく非常にわかりやすく、レヴィ・ストロースの思想について教えてくれていてオススメです。
僕自身も、2016年ごろに「エンジニアリングとブリコラージュの違い」について、自分の考えをまとめた記事を書いたことがあります。

サクッと理解したい方は以下の記事をぜひ読んでみてください。
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さて、ここからが今日一番強く伝えたいポイントなのですが、AIがこれまでのテクノロジーと何が根本的に異なるのかと言えば、神話における「つくる・うむ・なる」の分類における「なる」を行えるようになったことではないでしょうか。

これまでのテクノロジーは基本的には、「つくる」や「うむ」の補佐役が中心だった。

でもこれからは、落合陽一さんの「デジタルネイチャー」の概念を借りると、まるで都会に「森」ができて、勝手に果実が「なる」感覚に少しずつ変わってくる。

それをどう拾い集めて、創造するかに創作活動のメインが完全に移り変わってきたっていうことです。

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この点、そもそも「文化」って何なのかといえば、それは「風土」から立ちあらわれてくるものであり、それ以上でも以下でもないと思っています。

それは、日本各地を巡りながら、その土地特有の文化に身を浸してみると、痛いほど伝わってきます。

もちろん、生産物だけではなくて、その土地に暮らす人々の性格や人格なんかも、もちろん風土から強い強い影響を受けています。

東京や大阪のような大都会というのは、ある意味でその「自然」を徹底的に排除し、人間の観念の世界だけで構成されている「脳化社社会」になっているということなのでしょう。

自然の森を徹底的に排除したのが、都会の文化そのものであるということ。

徹底したエンジニアリングだけが許されている空間だったとも言えそうです。

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ただ、ここに来て、AIの進化によって「デジタルネイチャー」が誕生することによって、都会に新たな森が生まれて、そこに「風土」ができつつあるということでもあるのだと思います。

風土は、勝手に果実が「なる」わけですよね。人間が指示を出さなくても、勝手に生み続けるのがAIという樹木です。

それが果たして、本物の「自然」なのか、それともディストピアの入り口に立っている死神なのかはまだわからないけれど、ひとつだけハッキリしていることは、これからはその風土に影響を受けて文化はガラッと変わるということ。

採訪してくる「自然」そのものが、変化するわけですから。

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この点、これまでのインターネットというのは、あくまで、本物の自然から過去に人類が何万年もかけて採訪してきた「文化」を、リスト化しただけに過ぎなかった。

誰でも簡単に「検索」をして、それらを引っ張ってくることがインターネットの革命だったわけです。今の若い子たちが当たり前のように新鮮な気持ちでビートルズを聴いているみたいな話ですね。

でも、これからというのは、そうじゃないんです。

これからは、これまでにはまったく見たこともなかったような「新たな果実」を実らせる森が、そこに突如として誕生するということなんだと思います。

その森から採訪してくるものによって生まれてくる文化というのは、僕らが見たことも聞いたこともないようなものになる可能性は非常に高い。

これまでのエンジニアリング的な農耕牧畜型の活動から、古代の人類がそうしていたように、デジタルネイチャーの中に入っていくブリコラージュ的な狩猟採集型にまた徐々に変わってくるのだと思います。

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そこには、新たな信仰のようなものだって必ず生まれてくるでしょう。それは倭人が大きな岩や、大きな御神木を「神」と見立てて、山岳信仰のようなものが自然と始まっていったように。

だから、ある意味では「古事記」の時代の日本に戻っていくのだとも言えそうです。だからこそ、日本人とも非常に相性が良いということをここでは強く伝えたい。

もともとはそうやって、目の前に存在する自然と対話を繰り返して文化をつくってきた民族だったのだから。

「つくる・うむ・なる」のなかで、「なる」を活かすのが一番うまいのが日本人だと思っています。

そして、間違いなく、これでまた「本物の自然」のほうも必ず見直されるようになるはず。

バーチャルの世界が「森」化していくことによって、リアルの森のほうが圧倒的に情報量が多かったと気づくはずだからです。今は全く見向きもされていない森でも、これに勝るものはないと気づく人も徐々に増えてくるはず。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。