今朝、こんなツイートをしてみました。
この話を踏まえて、なんだかこれは確信に近いのですが、周囲の競合他者(他社)と比較をして、その範囲内で何とか上手いことやろうとしているときっていうのは、本当に自分のやりたいことではない可能性が非常に高いと思います。
それは、これまで多くの方々から、独立や起業、副業のご相談を受けてきた自分の経験則のようなもので、本当に強く実感しているところです。
自分の中では、何か新しいことを立ち上げて、自立し、自分の意志で始めたことだから「今、私は好きなことをやれている!」と思ってしまうのかもしれないのですが、それはただ流行に流されて「これが好きだ!私の天職だ」と誤解しているだけだったりする。
本当に好きなことなのであれば、周囲とかは関係なくひとり夢中で没頭してしまい、逆にまわりから止められるようなことであるはずだからです。
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そもそも、自分と同じジャンルに取り組んでいる他者がどんなふうに取り組んでいようが、本来あなたには一切関係のない事柄のはずなのです。
だけど、それでも周囲が気になってしまう。ほかのひとはどれぐらいの頻度で、何を発信し実行しているのかを猛烈に気にしてしまう。
本当は、もっともっと自らがつくりたい世界観に忠実であったほうがいいはずにも関わらず、です。
そのうえで、本当に必要な行動を淡々と実践し続けろってことだと思うんですよね。
でも多くのひとは「みんなが週5で働いているから、自分も週5で働こう」と信じて疑わない。
なぜなら、それが「平均値」であり「中央値」であり「正常」だと思ってしまうからです。
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でも、そもそも「正常」と「異常」の違いって何なのでしょう?
この点、最近、Wasei Salon内で読書会を開催した稲葉 俊郎さんが書かれた『からだとこころの健康学』という本の中に、非常におもしろい表現が書かれてありました。
唐突に「健康」の話題になってしまって大変恐縮ですが、以下で少し引用してみたいと思います。
私たちが普段から接している西洋医学では、健康になるためには「病気をなくすこと」「症状を和らげること」が重要であり、それこそが医療の目的だとされています。つまり、西洋医学での「健康」とは、「病気ではない」ことを指します。「異常がない」ことだと言い換えてもいいでしょう。
では、「異常」とは何でしょうか。それは、「正常ではない」ことです。では、「正常」とは何でしょうか。それは、「異常がない」ことです。これでは具体的にどうすればいいのか困ってしまいます。そのため、西洋医学では「異常」をわかりやすくするために、「正常値」「基準値」が設定されています。
これは人体の健康の話ですが、「仕事」や「働く」においても全く同様のことが言えるかと思います。
多くのひとはきっと「なぜ、自分が週5で働いているのか」を真剣に考えたことがない。それが「正常」だと思っている。
だから、今この瞬間から徹底的に私の生産性を高めて「週1しか働かない」っていう生活自体が頭の中に浮かんでこないし、逆に今の時期は集中して週7で働いて、がむしゃらに没頭してしまおうとも思わないのでしょう。
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さて、このような話をしてくると、今度は逆サイドに思いっきり振り切って、自分が本当に大好きな仕事に目一杯没頭しようと思い始めるひとたちが増えてくるのも事実です。
でもそれさえも、全く同じ構造の罠にハマってしまっている状態だと思うんですよね。
具体的には「べき論」で取り組み始めてしまうのです。
これが私の「正当な」好きなことだ、と。
この点、養老孟司さんの公式You Tubeの中で養老さんが、本当に膝を打つようなお話をされていました。ぜひ合わせてこちらもご覧になってみてください。
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日本人の中に多い武士みたいな生真面目なひとたちは、「とにかく量さえこなせばいい」と思い始めて今度はドンドン禁欲的になり、自分で自分自身の「好き」の感覚を騙し始めます。
そして、自分にとって「正当なことだ」と思い込んだことに対して、ひとはいくらでも過剰になれてしまうのですよね。
喩えるなら、「暴力や誹謗中傷はいけません」と子どもから大人まで、みんながその行動指針は理解しているはずにも関わらず、ポリコレ棒であればいくらでもひとを殴ってもいいと誤解してしまうのと似たような感覚です。
そして、そのがむしゃらな姿を飄々としているピエロのような人々から、「本当にあなたたちの仕事って生産性が低いよね」ってバカにされる。
「その仕事は、クソ仕事だ」って否定されてしまう。
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ずーっと社会の中における「仕事」や「働く」ということにおける論争というのは、この繰り返し。
この構造に気がついたひとは、一刻も早くこの「戦いの螺旋」から降りたほうが良いと思います。
そして、周囲や同じジャンルに取り組んでいる人たちが、どうしているのかなんて一切気にせずに、ただただ、本当に自分が欲している世界観に対して忠実であれ、と思います。
そのために必要な「私の限られた時間の使い方」とは何かを徹底して、自分の頭で考えてみることです。
その時に、いくらまわりを見渡してみても仕方がないんです。大事なことはいつも繰り返し書いていきているように、自らを深堀りすること。
今回も凡庸な結論になってしまって非常に申し訳ないですが、それぐらいとっても大切なことだと思います。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。
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声のブログ、Voicyも毎日更新しています。合わせて聴いてみてもらえると嬉しいです。