「インターネットはひとつのことを深堀りするには良いけれど、広さを獲得することはできない」というお話を先日、ちきりんさんがVoicyの中でされていました。

一方で、良くも悪くも自分に最適化されないテレビでは広く情報を接種することができる、と。

受動的で情弱だと言われがちのテレビも、見方によってはインターネットにはない広さを獲得できると語られていて、これは本当にそのとおりだなあと思います。


僕も、NHKオンデマンドやテレ東オンデマンドなどを通じて頻繁にテレビは観ています。

ちなみにこれは完全に余談ですが、NHKオンデマンドは倍速再生できないと思っているひとはかなり多いけれども、ブラウザの拡張機能を使えば、NHKオンデマンドでも倍速再生は可能です。

NHKは老人向けでゆっくり解説になってしまっているので、それが耐えられないという人は多いですが、2〜3倍ぐらいで観ることができれば、時間効率も格段に良くなります。

まだ倍速機能を試したことがない方は、ぜひ騙されたと思って試してみて欲しいです。

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で、この話題に関連して、最近よく考えているのは、一つのジャンルに特化した深さみたいなものが、AIの出現によって、ことごとく無価値化されてしまっているなあと。

言い換えると、インターネットと相性が良かった何かのジャンルに特化したマイクロインフルエンサーみたいな存在がもうほとんど価値がなくなってきている。

それはもうAIに聞けば、的確に教えてくれるから。

ちょうど歩く広辞苑みたないひとが、インターネット、特にWikipediaの登場によってまったくもって重宝されなくなったように、です。

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じゃあ、これからの人間の役割ってどうなるんだ?専門性の深堀りではなければ何になる?

ここからが今日の本題にも入っていきます。

僕が思うに、これからの人間に求められるのは、「全然関係なさそうなものを、直感的につなげる力」なんじゃないでしょうか。

そのような直感力を鍛えること、昨日の話につなげると「この世ならざるもの」が抵抗なく発現できるような良導体になっていくことなんだろうなあと思います。

「なぜかはまだよくわかんないけれど、これとこれはつながりそう!」というような、AIには絶対に思いつかないぐらい遠距離にあるものを人間の直感の力によって紐づけてしまう。それを見つける力がこれからはかなり大事になると思います。

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この点、AIって関連性が明らかなものは、人間以上の力でバンバン提案してくれます。次に来る文字列は一体何かを判断して、最適なものを提案して文章のように見せているのが生成AIの仕組みでもありますからね。

でも、全然関係なさそうなものを、AIが自分から提示することはできないんです。。

いや、というかたぶん実際にはAIにそれ自体はできたとしても、僕ら人間側がそれを関係があるというふうに「読み取ることができない」というのが、きっと正しい。

AIにそのような提案をされても「それはこじつけだろ、エラーだろ」とか思ってしまう。

だからこれは人間の認知側のバグとも言えるのかもしれませんね。

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逆に、人間側には全然関係なさそうなものでも、なんとなくつながりそうだなって感じることが、直感的にある。

そういう「勘」みたいなものを提案されると、その人への信頼を担保にしながら、一理あるかもと考える気にもなれる。

例えば、以下のような突拍子もない着想があったとして、これがAIならバグだけれど、人間から言われると「どういういこと?」ってとりあえず聞いてみたくなる。身近な人からの提案ならなおさらです。

「あれ? この料理の味付け、あの曲のメロディーに似ていませんか?」
「この映画のストーリー展開、株価チャートの動きに似ていますね」
「AIの進化って、実は江戸時代の文化発展と似ているかも」

ちなみにこれらの例はすべて、AIに今日のこのブログを読ませて「例をつくって」って頼んだらつくってくれたものです。

それぞれは、全然意味は分かんないけれど、このような直感が人間に舞い降りることってよくありますよね。

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そして、こういう一見バカげた連想であっても「これとこれの関連性を見つけてみて!ちなみに自分的にはこんなところにあるのかなと思うんだけれど…」と、そのベクトルや方向性を示しつつAIに頼めば、見事にそれっぽいことを論理的に語ってくれる。

AIの役割は、そういう人間の直感を言語にすることだと思います。

言い換えると、「なんとなく」を断片的にでも伝えてみると「なるほど!」と思える理解につなげてくれる。

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つまり、AIは人間が生み出した「コネクティング・ザ・ドット(点と点をつなぐ)」の線を、より鮮明に太く・濃くしてくれるといえばわかりやすいかもしれません。

逆にいえば、人間が直感的に「これは関係ありそうだ!」と感じたり着想を得たりしたとき、「コネクティング・ザ・ドット」というのは非常に薄い線だったり、点線だったりするわけですよね。

その理由を他者にも説明しようにも、うまく言語化できなかったりする。それをAIが変わりにやってくれるようになるわけです。

しかも、AIは疲れを知らないわけですから、何度でも飽きることなく、様々な表現や解釈を提示して、その訂正可能性を示してくれる。

これが今後、非常に重要になってくるはずなんですよね。

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このあたりは、とてもわかりにくい話をしてしまっているので、誰にでもわかりやすいように「恋愛」の例でたとえてみると、

たとえば、好きな人ができたとする。でも、その相手のことをなぜ好きなのかはよくわからない。ただなんとなく惹かれただけ。

でも、この人が自分にとって100%のひとだとわかることは、それぞれの体験の中で間違いなくあると思います。

そんなときに、AIが「あなたがその人に惹かれる理由は〇〇かもしれません」って、いろんな可能性を示してくれる。

そうすると、「あ、そうかも!」って気づくことがあるわけですよね。そうやって、AIは自分の気持ちを、他者にでもわかるように言語化してくれるんです。

60億人から見つけたった1人の相手を、間違いなく運命の相手だというそんな私の確信、それを私に変わって、他者にもわかる言葉にしてくれるわけです。

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これと一緒で、大事なのは最初の「なんとなく好き」っていう感覚のほうになっていくはずで。そもそも、それがないと物語は始まらないんですよね。

多くの人は「そんなのは意味がないじゃん」って思うかもしれない。でも、その「なんとなく」のほうが実は大事だと僕は思うんです。

人間の意志や創造性みたいなものは、実はこういう「なんとなくつながりそう」から始まることが多わけですから。そして、それこそが長続きをする、徹底的にやり込める原動力にもなる。

私にとっての直感、その圧倒的な私にとっての「真実」を重視できる世の中のほうが、本当はそれぞれが活動しやすいはずなんです。

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この点、最近、村上春樹作品を読んでいる中でよく思うことがあります。

なぜ、みんな客観的な「真実」ばかりを書こうとするのだろうか?それは自分にとっての圧倒的な「嘘」かもしれないのに、ということです。

変な話だと思われるかもしれないですが、これは本当に強く思うようになりました。

村上春樹さんご自身が、江戸時代の作家・上田秋成の『雨月物語』の系譜を継ぐものだと語っているわけですが、その『雨月物語』を読んでみると、日常の中に突然、不思議な異界や夢の世界が現れたりします。

一般的に考えれば、それは「嘘」や「フィクション」「幻」であるはずなんですが、作者にとってはきっと100%「真実」なんだろうなと思わされるような内容ばかりです。

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で、現実の世界でも、きっとこれと同じことが言えるはずで。

例えば、ビジネスで革新的なアイデアを出すときに、最初はまわりから「そんなの無理だよ」って言われるかもしれない。でも、自分の中では「これいける!」って確信があるものって結構ある。

そんなとき、これまでならうまくまわりを説得できなかったら諦めるしかなかったわけですよね。そんなとき、AIが「それっぽい」理由を考えてくれる。そうすることで、自分のアイデアを、より説得力のある形で伝えられるようになるのです。

これからはきっと、その信じ切って全く別のものを直感的につなげる力のほうが大事になると思います。

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最近だと、ソフトバンクの孫正義さんの株主総会のプレゼンなんかがまさにそうでした。

あれを観た方はわかると思うのですが「ASIの未来がやってくる!」ってすごい確信を持って話していました。

多くの人たちは、「大げさじゃない?これじゃあ完全にペテン師じゃん」って思うかもしれないのですが、でも、孫さんの中では絶対的な「真実」なんでしょうね。

これからの人間の仕事は、あのようなまったく別々の「つながり」を見出すことだと思います。

一見バラバラに見える遠くの事象を結びつけること。私の魂やゴーストが囁く直感に対して、より忠実になっていくこと。

それこそが新たな発見や革新を生み出していくことにつながっていくはずです。

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テレビを観るかどうかは、個人のライフスタイルに関わる問題だとは思うけれど、幅広く本を読み、旅に出ることに価値を見出し、そしてさまざまな価値観、ヒト・モノ・コト・情報などに触れてみて、自分の中の引き出しを増やしていく。

そうすると、ある日突然「あ!これとこれって、つながるかも!」って思えるようになります。

そのような直感力を鍛えて、勘を養うほうが重要になってくるんだと思います。

そのために必要なことはやっぱり、いつも繰り返しお伝えしているように「耳を澄ませる力」なのでしょうね、きっと。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。