こんにちは。
木津です。巷ではムハンマドと呼ばれています。


少し前から、僕自身の「個人のビジョン」について改めて考え直しています。

所属している組織のビジョンとはまた別に、個人としての自分が掲げるビジョン。

詳細は、以前書いたこちらの記事をご覧ください。

参考:個人のビジョンを考えるイントロ。

https://wasei.salon/blogs/ec57a09551d2


参考:個人のビジョンの定義を考える。

https://wasei.salon/blogs/c485a204943a



今回は、「個人のビジョンに向けた過去の棚卸し」ということで、これまでの自分の人生を簡単に振り返ってみることにしました。


(「簡単に」と言いながら書いていたらそれなりに長くなってしまうことがわかったので、数回に分けて書きます。)



まずは、生まれてから大学を卒業するまでのことを書く。



▼幼少期


1992年(H4)2月に、母の故郷である埼玉の病院で産まれました。


生後から数年は東京都江戸川区で生活し、3才くらいのタイミングで、僕がもっとも長く時間を過ごした千葉県・船橋市のマンションに引っ越します。


社会人になって一人暮らしをはじめるまでは、ずっとこの家で過ごしました。



家族は父、母、僕の三人構成で、父は船の雑誌の編集者、母は専業主婦でした。


特別に裕福な家庭だった訳ではありませんが、特に不自由もなく、また父が40の時に産まれた子供だったこともあってか(?)、あまり厳しく育てられたという記憶はありません。


いくつか習い事の体験に連れて行かれたり、「中学受験をしないか」と言われたこともありましたが、僕はなぜか「行きたくない」の一辺倒で、習い事や中学受験はしませんでした。



ただ、小学生の時に両親がお土産で買ってきてくれた雑誌『ボードゲーム天国』にはドハマりし、ボロボロになるまで読み込んだことをよく覚えています。

画像引用元:https://mignon.hateblo.jp/entry/2012/04/19/125230



▼小学校〜高校時代


学生時代については、正直「コレ」というエピソードがほとんどありません。


特に何かに没頭することもなく、「普通の子供だった」というよりか、今の自分の言葉で言えば、「タグの少ない子供だった」と思います。


中学3年間陸上部に入っていた以外は、特に長く続けたスポーツや音楽活動、趣味もなく、「当時の自分と言えばコレでした!」といえるような、わかりやすい"タグ"がなかった。


誰に言われたか忘れたけど、親戚だか教師だかの誰かから「君は知的好奇心がない」と言われたことがあって、それはとても的を得た言葉だったあなと思っています。



また僕のそんな姿勢に拍車をかけたのが、高校時代の友人の言葉。


「大事なのは授業を聞くことじゃなくて、大学に受かることでしょ?」


学校の授業を全く聞かず、先生に怒られながらも黙々と受験勉強をしていた彼の言葉には迷いがなく、「確かにそうだよなあ」と思わせる力がありました。



その時期に僕は、良くも悪くも「目的からの逆算主義(寄り道排除主義)」がより一層強くなって、「意味のあることしかしない」という知的好奇心の真逆を行くような行動指針を持つようになりました。


そしてこの考えは、大学生、社会人になるまで続きます。



▼大学時代


大学では、建築の勉強をしていました。


夜遅くまで建築の模型を作ったり、小難しい哲学書を読んだりして、ここで初めて僕は、「表現/クリエイティブ」の世界に足を踏み入れた。



大学では、勉強ができるだけじゃない、本当の意味で「頭のいい奴」にたくさん出会いました。


僕が建築学部に入ったのは、「数学と物理が得意で、他の学部よりかっこ良さそう」というだけの理由だったんだけど、同じ学部には、「建築家になりたい」「まちづくりに関心がある」という理由で建築学部にきた奴らがたくさんいた。


そこの意識の差はアウトプットの差に直結していて、「どうしたらこんなことを考えられるんだろう」と羨ましく思うと共に、あまり面白くない気持ちになっている自分もいました。


小難しい言葉をわかったフリをしながら使い続ける自分に疲れてしまい、「アカデミックな建築はつまらない」というもっともらしい理由を付けて、大学院には進まず逃げるように就職をしました。



救いだったのは、4年次の研究室で良い仲間に恵まれたことと、同じく研究室で恩師と呼べる存在に出会えたこと。


研究室で指導をしてくださった川向先生は、厳しいことで知られる先生でもありましたが、卒業論文の指導を通じて「表層ではなく本質を捉えようとする姿勢」を僕に授けてくださいました。


ここで培われた姿勢は、今もずっと自分の武器になっていると思っています。



▼終わりに


以上です。


最終的にどうまとめるかを考えないまま書いているので、書くべきことをちゃんと拾えているかわからないけど、こんな感じで書いていきます。


次回は社会人編。


大学を卒業して初めに入った会社でのことと、仕事をやめてフラフラしていた時のこと、それから、転職して建築の設計事務所で働いていた時のことを書きます。


またきてね!