介護や福祉の世界に興味を持ったのは、「介護」という仕事が人の生死と密接に関係していて、どんな人の人生とも切っても切り離せないことだと感じたから。

生きることは死ぬことであると思ったからだ。



「どう生きたい?」を考えると、「どう死にたい?」に繋がった。
人生100年時代、働き方や生き方の議論はたくさん目にする。
今でも仕事のことやお金のこと、自分自身もめちゃくちゃ考えているし、今もなお考えて更新し続けている。
  
その答えはこれからも変化していくと思うけど、それだけでは足りないと思うようになった。


どう暮らしていきたいのか?
どんな人と同じ時間を過ごしたいのか?
どうやって最期を迎えたいのか?


考えれば考えるほど、"働き方"や”お金”だけではどうしても捉えきれない。

勤務時間・給与・スキル…それはあくまでも表面的だと言うことに気がついた。


理想の死に方
僕は大好きな人たちと、大好きな場所で大好きなことをして、ギリギリまで遊んで、眠るように死ぬのが理想。


"大好きな人"はお世話になった人かもしれない。

いつか生まれる自分の子どもやパートナーかもしれない。同志と言えるような仲間や世代を越えた家族のような人たちかもしれない。大切なのは信頼関係。心許せるような人、尊敬し合える関係性、上下ではなくフラットに一人間として付き合えるような人たちと共に過ごすこと。


"大好きな場所"は地元の神戸だ。

この街で最後の最後まで楽しい時間を過ごしていきたい。

"大好きなこと"は「希望」があること。希望とは可能性のこと。社会をより良くすることかもしれない、若者や子どもたちのことかもしれない。その時々の社会の課題が僕にとって興味関心のあることで、そこに関わり更新することが僕の希望なのかもしれない。



死ぬことは生きること。
生きることは死ぬことだ。
どんな革命家も、凡人も、命あるものはいつか必ず死んでいく。

だから目を背けてはいけない。
思いつめない程度に考えて、向き合って、今を大切に生きていこう。


「死」を考えることで、「生まれる」こともある。
死ぬことは生きることだ。



昨年の10月、神戸に帰省した際に「人の死」と向き合うことに...

この一件がキッカケで今年からUターンをし、次の働くを考え中です。

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明るく賑やかな「死」

https://note.com/akira_maeda/n/ne6d6454d2cbd?creator_urlname=akira_maeda