「好きなことだけで、生きていく」

近年、働き方において頻繁に語られる言葉です。

この言葉は、考えれば考えるほど毒にも薬にもなる言葉だなあと感じます。

仏教における「密教」みたいなものに近くて、捉え方によっては勘違いを生みやすい考え方なのだろうなあと。

本当はしっかりと順を追って理解し、徐々に納得していかなければいけないことにも関わらず、この言葉だけが先走りしてしまっているのが現状なのだと思います。

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以前こんなツイートをしてみました。





本当に重要なことは、 まず「自分の興味関心があることに夢中になる」ことだと思うのです。

逆にいうと、夢中になれるものが見つかるまでは、思いっきりモラトリアムになる期間が人生の中で何度あってもいいと僕は思います。

自分が気になることには、片っ端からドンドン首を突っ込んでみる。最初のうちは成長も早いですからね。

そこで得られたアマチュアレベルの知識や技能が、人生のどのタイミングで途端に役立つようになるかは、誰にもわからない。

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そして更に大切なことは、その好奇心を自分の中に留めずに、少しずつでもいいから、自分の外に曝け出していくことです。

決して美しくまとまっている必要はなくて、自分の外側に曝け出していくことに意味がある。

そうすることで、思わぬ流れから「呼ばれた」と思えるような「必然のように感じる偶然」に巡り合えるはずですから。

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この点、約10年ほど前までの「ネット空間」は、まさにそのような形で曝け出すことにおいて、とても最適な空間でした。

自分が夢中になっていることを未完成でもドンドン発信していけば、思わぬところから自然とチャンスが転がってくる、そんな場所でした。

だからこそ僕もTwitterを使い始め、夢中になってブログを書き続けた。

でも、今のネット空間だとなかなかそれがむずかしい…。

あまりにも公共的な場所になり過ぎたのだと思います。すぐに横槍が入ってしまう。

リアル空間と何も変わらず、挫折したときのリスクを先に考えてしまうひとが大多数になってしまいました。

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そんなことを考えながら、今朝ちょうど7年前に自分が書いたブログを読み返したのです。

参照:井上雄彦『バガボンド』36巻「耕す」ということ。

当時何もない空間にサーバーを借りて、ゼロから耕してきた「隠居系男子」というブログをきっかけに、本当に少しずつですが、似たような未来を見据えているひとたちが集える場を生み出すことができるようになった。

これは本当にとてもありがたいことです。

自分のこの7年間の経験があるからこそ、僕は各人が自分の興味関心に対して夢中になって、それを曝け出し合いながら、自己開示していける場をつくっていけたらと思います。


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お互いの「好き」に対して、じっくりと耳を傾け合い、一緒に楽しめる仲間が見つかる。そんな場所を、このWasei Salonの中で実現していきたい。

そうすることで、参加してくれているメンバーひとりひとりが「より幸せで納得感のある生き方」を、それぞれの人生の中で体得していくことができると思うから。

明日の夜に開催される自由研究イベントも、まさにそんなイベントになることを期待しています。

参照:夏休みも近いし、みんなで「大人の自由研究」やりませんか? | Wasei Salon



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昨夜のWasei Salon「オンラインスナック(サロン説明会)」を通じて、そんなことをふと考えました。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、今日のお話が何かしらの参考になったら幸いです。