奈良に来て2週間、最近よく思うことがあります。

それは、人間の興味関心というのは、思っている以上に自分が今いる場所に規定されるのだなあということ。

ひとは生きていれば、毎日必ず何かしらの情報にふれています。

その毎日ふれている情報がきっかけとなり、何かに興味関心を抱くようにできている。

つまり、いま自分の目の前に広がっている景色によって、自分の興味関心が規定されていると言っても過言ではないなと。

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この点、短期間の観光や旅行だと、どうしても名所を巡って終わるスタンプラリーのようになってしまいがち。

しかし一方で仕事もあるわけですから、1週間〜1ヶ月などまとまった休暇の時間が取れないのも事実です。

実際僕も、そんなにまとまった休暇は取ることができません。

今も日々リモートの仕事をしながら、奈良で過ごしています。

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そして、それでいいと思っています。

現地で日々を過ごし、自然と目に入ってくる山や川、空の色、その土地で暮らす人々の表情など、

そんなふうに至るところに広がる奈良の様々な片鱗に触れ続けることで、奈良に滞在している意味につながってくるなあと。

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仕事からふと離れて、近所を散歩していると、ついつい奈良のことばかり考えてしまっている自分に気づくんですよね。

これがとっても良いリフレッシュになる。

こんな自分を発見できると、積極的にどこかに出向かなくてもいい、現地にただいるだけで価値があると強く感じます。

都会に暮らしている若いビジネスマンの中には、「教養を身につけなければ…!仕事に役立つ知識を学ばなければ…!」と必死で自分を鼓舞して学んでいるひとも多いかと思います。

だから、必死で自分のモチベーションを高めながら、何かを学ぼうとしてみるのですが、大抵の場合は目の前の広がる歓楽街や仕事や忙殺されて挫折してしまいます…。

しかし、現地で数週間こんなふうに過ごしてみると、自然と自分の内側から疑問や問いが浮かんできて、仕事をしながらでも、ついつい調べたくなってしまいます。

少し調べてみると更に面白くなって、気になる物事がドンドン増えていく…。

そうやって芋づる式に調べていると、気付いたら自分でも思ってもみなかったぐらい遠くまで来ていることに気づかされるのです。

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この感覚、何かに似ているなあと思ったら、幼いころの夏休みに、時間を忘れて目の前のことに夢中になって目一杯遊んでいたら、夕暮れどきとなり、迷子になった子ども時代のようだなあと。

「迷子になったら困るじゃないか…!」と思うかもしれませんが、

でもそんな時にこそ、ふと出会えてしまうのですよね、神様とか妖怪とか何かそういった人知を超えたものに…。

そしてそのようなものと出会ったあと、ハッと我に帰ってみると、目の前に優しい大人の手が差し伸べられるといったような。

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このように夢中になれることこそが「学びの娯楽化」の真髄だと僕は思います。

先月、1ヶ月近く東京に滞在してたとき「何に対しても興味を持てなくなってしまい、弱ったなあ…」と感じていました。

しかし、いま奈良で過ごしてみると、東京で感じていた焦燥感はまるで嘘だったのかように、今はとても晴々とした気持ちになっています。

あともう少しだけ奈良に滞在しながら、この国の成り立ちについてふれてみようかなあと思っています。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。