僕は詩が苦手です。

ただ、その理由がこれまでちゃんと理解できていなかった。

そんな中、2022年2月に放送された「100分de名著 金子みすゞ詩集」を全4回観て、これは「金子みすゞアレルギー」だったのかもしれないと理解することができました。

今日はこの詩に対する苦手意識の発見と「わからないことがわかることの重要性について」改めて書いてみたいなあと思います。

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金子みすゞの詩が、国語の教科書に採用されたのは平成8年だそうです。

僕は平成と同い年なので、ちょうど僕が小学2年生の時に国語の教科書に採用されたことになります。

もちろん、僕もその教科書で彼女の詩を習いました。

当時この詩を習いながら、「この感性こそが正解だ。子どもたるや、このような"みずみずしい"感性を持ち合わせているべきだ」と言われている気がしてならなかった。

今となれば、そんなことは言われていなかったと思いますが、絶対に覚えなくてはいけない漢字、絶対に理解しなければいけない説明文、そのあとにやってくるのが金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」だったため、勝手にそのように感じ取っていたのでしょう。

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でも、今回あらためて「100分de名著」を観て、彼女自身がかなり変わった人生を歩んだひとだったことを知りました。

現代で言えば「インフルエンサー」にも近い存在だったと番組内では語られていて、だいぶ変わった感性の持ち主だったそうです。

つまりは、変人です。

太宰治や夏目漱石もそうですが、教科書に載っている作家たちの感性及びその人生観は、一般人には一筋縄では理解できません。

しかし、このような作家たちの作品を、子ども時代に一通り体内に強制的に埋め込まれることで、将来的にそんな作品に助けられるひとが現れてくる。

ある意味国民全員が打たれる「精神的なワクチン」とも言えるのかもしれません。

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この点、金子みすゞの詩ほど、誰もが必ず通ってきた詩はないはずです。

311のときにも、ひたすらテレビCMで流れていましたよね。

それらを観ながら、当時「これの一体何が…?」と思い、こんな感性を無理やり押しつけてくる学校や国語教師、テレビが憎いと感じたひとや、それが原因で詩や国語が嫌いになったひと、

そう思ったひとたちにこそ、ぜひとも彼女の生涯を改めて知ってみて欲しい。

当時どのような社会状況の中で金子みすゞが暮らし、どのような立場にいた女性なのかをちゃんと理解して、そして改めて「全然わかんないな」と感じ取って欲しい。

たぶん「わかろうとしなくていい」が、わかると思います。

そしてこの発見が、今の時代においてとても重要な視座だと僕は思うのです。

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仏教やキリスト教など「国家宗教の成り立ち」を理解できたときと似たような感覚を味わうことができるかと思います。

宗教において、わかることは決して「改宗すること」ではないはずです。そのひと(たち)が、どんな立場から何を大切にしていたのかを理解しようと努めること。

僕自身、今回の番組によって、詩への苦手意識が自分の中から明らかに減りましたし、詩が好きな人たちが共有している価値観や、その立ち位置もなんとなく理解することができました。

とても良い思考訓練になったように感じます。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの発見のきっかけとなれば幸いです。