昨日こんなツイートをしてみました。


今日は、ここで得られた一連の気づきをこのブログにもまとめておきたいと思います。

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ここでいうエトス(信頼)とは、「受信者→発信者」に対する信頼だけではなく「発信者→受信者」に対する信頼も含みます。

なぜなら、話し手が聞き手のことを信頼しているからこそ、自己の内側から引き出される話があるはずで、そもそも発話とは「相手が聞きたい(と私が思っている)こと」を場に提示する行為だからです。

逆にいうと、リアル社会も、オープンなネット社会も「聞き手に対する信頼」が完全に地に落ちたことが問題なのだと思います。

もしかしたら、それが近年におけるいちばん大きな社会の変化なのかもしれません。

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そんな環境下で「自分の意見」なんて出てこなくても、当たりまえ。

だからこそ、いま本当に求めるべきは、自分の意見を紡ぎ出すためのスキルやノウハウなんかではなく、「信頼できる聞き手」が集まる空間であり、「私が聞き手とのあいだに築く信頼関係」なんだと思います。

それさえ見つかれば「私の意見」なんて、自然と自分の内側から引き出されるようになる。

実際、Wasei Salon内では転職や独立するメンバーが自然と増えているのですが、それはメンバー同士で対話する中で、自分の意見が明確になっていくからだと思います。

目の前に信頼できる聞き手がいること、私自身も信頼される聞き手として他者の役に立っていることを実感すること。

それだけで人は、ちゃんと「自分の意見」を持てるようになるのだと思います。

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さて、ここまでが昨日のツイートのまとめです。

そして、ここから先がその後に考えたこと。

思うに、いま「世界に対する信頼」があまりにも低いこと、それが先進国共通の問題なのではないでしょうか。

子どもの不登校問題にしてもそうですし、大人が子どもを産まないこともそう。彼らの多くは、世界にまったく期待をしていない。

それを本人の問題にすることは簡単だし、実際に新自由主義者のひとたちは、それを本人の努力不足だと完全に決めつけています。

でも、果たして本当にそうなんだっけ?と改めてここで問うてみたいのです。

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僕自身(昭和63年生まれ)、まだまだみんなが世界に期待しているバブルの残り香のようなものをギリギリ感じ取りながら育ってきましたし、テレビの全盛期もなんとなく記憶しています。

そこからインターネットが出てきて、そこに大きな可能性を感じ、ここに自分の意見を書いてみたいなという純粋な好奇心を持つことができました。

それは、当時のネット空間に集まる読者に対して、一定の信頼感があったからです。

だからこそ、ブロガーになれたのだと思います。

実際にそこで書いた記事が一定数の人に読まれたことは、別に自分の能力でもなんでもなくて、僕の発信を引き出してくれた場(ネット空間)のおかげです。

でも、もし自分がいま20歳だったら、こんな世の中に自分の意見を投げかけても完全に無駄だと思い、中国の「寝そべり族」のような状態に陥っていたかもしれません。

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だからこそ僕がいま急務だと思うのは、「聞き手(読み手)に対する信頼を抱くことができる空間」の創造です。

たった数十人でもいい、このひとたちは自分の意見にちゃんと耳を傾けてくれる。そして私自身も、このひとたちから信頼される聞き手になりたいと素直に思える空間。

お互いにそう思える空間をつくり出すことさえできれば、自然と「自分の意見」が場に集まってきて、建設的な対話や議論が始まっていくと思うから。

各人が自分の周囲だけでも、そんな小さな空間をつくっていくことができたら、世界全体も少しずつ変わっていくのではないでしょうか。

もちろん、このWasei Salonがそんな空間になっていったら嬉しいです。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。

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