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「このWasei SalonがほかのオンラインサロンやSNSと異なる点は何なのか?」を考えている最中に、自然と浮かんできた言葉です。
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そもそもなぜひとは「厳しい言葉をぶつけ合う空間が必要だ」と思うのでしょうか。
その最初の目的について改めて考えてみると、
「お互いに気づきを与え合うことで、そこにいる人たちがより良い選択(判断)に辿り着くため」だと思います。
この点、歴史は往々にして権力側にとって都合の悪い意見はすべて「デマ」や「フェイク」として扱って、反権力側を断罪してきました。
その結果、権力側に残る人間はいつもイエスマンばかりになる。
そこで行われる議論も馴れ合いばかりになってしまい、時の権力者は目の前の現実を見定める力を失っていき、自ら凋落していきます。
そんな歴史が「イエスマンは悪、馴れ合いは悪」という価値観を生んできたのだと思います。
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しかし、現代においては、その厳しい言葉のぶつけ合いは、逆に邪魔でしかない場合もある。
その証拠に、SNSでは日夜それぞれの正義に沿って、さまざまな議論が繰り広げられていますが、その議論が功を奏した場面を僕はあまり多く知りません。
それぞれのアカウントが好きな発言をいくらでも行える設計になっていて、そこに言論統制のようなことは一切ない、にも関わらずです。
むしろ、SNS上で議論すればするほど、相手のことをより嫌いになり、自分たちの考え方により一層固執していく。
この不毛さに嫌気がさして、僕は1年以上前にSNS上の議論に参加することはもちろん、眺めることもやめました。
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一方、Wasei Salonの場合はそれぞれのメンバーが置かれている環境や職業、年齢や住んでいる場所もさまざまです。
もちろん、そんな中で導かれる答えが一つではないことは、それぞれのメンバーさんが一番よく理解している。
だからこそ、お互いの知見から見えてくる世界を、おすそ分けするように提示し合い、お互いに気づきを与え合うことに専念している。
決して、無理やり説得しようとはしません。
その結果、本来の目的である「お互いに気づきを与え合うことで、そこに集まる人たちがより良い選択(決断)に辿り着くため」の空間として、健全に機能しているなあと思っています。
これも価値観に共感しているひとたちが集まっているクローズドの空間ならではの作用です。
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このように、何事においても、本来到達したい目的に沿って空間自体も設計した方がいいと思うのです。
自分の中にある従来の価値基準に見合わないからという理由だけで「この空間は間違っている」と断罪してしまう例が、世の中には非常に多い。
「そもそもの目的に立ち返って考える」という視点を常に持ち続けたい。
そんなことを考える今日このごろです。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。