今年に入ってから、新しいことをストイックに学びましょう!という言説が一気に増えたなあと思います。

これは当然ですよね、AIエージェントが出てきて、世界情勢もトランプ政権に変わってからみるみるうちに変化をして、本当にこれから何が起きるのか、誰にもわからない。

まさに一寸先は闇であり、今のままの生活が10年後も続いている保証があるひとなんて、誰もいないわけですから。

それぐらい先行きが不透明であれば、新しいことを学ぶことに対して意欲的にならないとヤバいという情報が大衆受けしやすい。というか、誰もが当事者意識を持ちやすい。

でも、そうやって焦って新しいことを学んでばかりいると、見事に彼らのカモにされるわけです。

そしていつまで経っても、自分の足場も定まらないから、余計に内側からの不安なんかも立ち込めてくる。

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これはどうにかならないものかな…と考えていたときに、最近聞いていた養老孟司さんのラジオのQ&Aの中で、ものすごくハッとするようなお話が語られてありました。

リスナーさんからの「いろいろなことに興味関心を抱いてしまって、ひとつに定まらないのですが、どうすればいいですか?」というような質問に対して、

養老さんはいつもと変わらないテンションで淡々と「焦らずに楽しくフラフラしていれば、そのうち老化して、勝手に一つに定まってきますよ」と語ります。

養老さんも、最後に残ったのは好きな虫取り、ゾウムシだけだと笑っていました。年齢を重ねって、いろいろと面倒くさくなってくるからだと。

これを聴いて僕はとても痛快だなあと思いました。養老さんにこうやって言われると、本当にそのとおりだよなあと思えるから不思議です。

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で、実際、年齢を重ねると、めんどうくさいと感じることが本当に一気に増える。

若いころは、なぜ、あんなに前のめりに、何でも興味を持ち挑戦できていたわからない。

今となっては全く興味が持てず、重たい腰が上がらないということは山ほどある。

で、これは万人に共通する話でもあって、だからこそ世の中の30代〜40代ぐらいになると「果たして本当にこれでいいんだろうか…?」「私は、時代遅れのおじさん・おばさんになって、世の中から置いていかれる人間になってしまわないだろうか?」と余計に不安になるわけですよね。

そこで、同世代や自分よりも年齢が上のひとが最先端のテクノロジーなどを駆使しながら、果敢にストイックに取り組む姿勢なんかを観せられて煽られると「自分もやらなきゃ!」ってなる。

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でも、繰り返しますが、僕は果たしてそれが正しい姿なのか?と疑問に思うのです。

決してそのような姿を否定するわけではないけれど、そうやって煽られて、彼らのカモになってしまうのは本末転倒だなと。

で、最近、立て続けにリアルの場面でジェーン・スーさんの話題が上がることがあり、「あー、いま本当に女性たちに人気があるんだなあ」と思って、改めてジェーン・スーさんのオーディオブックを聴いているのだけれど、『おつかれ、今日の私。』というエッセイ集の中に、これと似たような話が語られてありました。

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本の中では「引っ越し作業」で語られていたのですが、20代の頃は引越し作業をウキウキと取り組んでいたのに、なぜか40代を過ぎると、億劫の重力が若い頃の何倍にもなってしまった、と。

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で、ここで多くのひとは、「若いころのように、ウキウキできるためにはどうすればいいのか?」と考えると思うのですが、ジェーン・スーさんの場合はそうじゃないんです。これがさすがだなあと思う。

40代になってから、若かった頃の嫉妬や僻みからも、完全にではないけれど、解き放たれて来ている。また、他人対しても素直に「羨ましい」と言えるようになった。

これも全部、色々とめんどうくさくなったせいであり、すべては面倒くさいのおかげだろう、と語るのです。

面相くさいから「まあ、いいか」と思えるようになる、自分の中の執着がなくなっていく。

「強力な面倒くさいを手に入れたおかげで、苦しくなったこともある一方で、楽になったこともある。そうやって新しい自分に変化していくことが歳を重ねるということなのかもしれない。今楽しいのは『まあ、いいか』のおかげだ。」と語られていて、僕はなんとも素晴らしい人生哲学だなあと思いました。

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こうやって、年齢を重ねることで得意・不得意が明確になっていくこと、その価値を丁寧に見定めたい。

若いころに獲得した「評価軸」や「価値基準」だけで生きていたら、辛くなるのも当然なんですよね、身体やこころは、年齢と共に変化しているんですから。

逆に、そんな若い頃に思い描いた「成功」や「理想」の一義的な価値観に焦られることが、一番良くないなとも思う。

それっていうのは結局のところ、過度な「若づくり」していることと一緒ですからね。アンチエイジング商法なんかと根本的には構造は一緒です。

アンチエイジング商法は客観的にみると非常にバカバカしく見えるのに、こと仕事の面においては、アンチエイジングに煽られるというのはいかがなものか。

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養老さんが語るように、老いてめんどうくさくなっていく中でも残るものが、自分の得意や本当にやりたいことにつながっていく。

その中で、自然と湧き上がってくる好奇心に従うことのほうが、大事だなと思います。

でもそんな本当の好奇心とは、学びたいとも思っていないものに焦らされて義務感のように取り組んでいると、一生出会えないのもまた事実。

で、本当の好奇心に出会えないから、いつまで経っても「アレもやらなきゃ、コレもやらなきゃ」という思考回路に陥ってしまう。

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本来、何かが減退しているということは、それと同時に得られているものも間違いなくあるはずで。そちらにちゃんと意識を向けたい。

ジェーン・スーさんが語るように、若い時とは異なって、嫉妬や僻み、そんな執着からせっかく解き放たれてきているのに、そちらに目を向けないのは、本当にもったいない。

じゃあ、若い頃みたいに、強烈な嫉妬や僻み、そんな執着のエネルギーを行動の原動力に変えられるのかと言えば、30代とか40代になると決してそうではないはずですからね。

やっぱりあのときは良くも悪くも、若さゆえに徹底的に嫉妬したりひがんだり、そこからなにくそ根性でがむしゃらに落ち込めたということもある。

そして今、20代の若い子と同じタイミングで「よーいどん」でAIを学んだら、若い子たちが勝つに決まっています。

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そう考えると、若い頃の自分が感じていた一義的な成功観念に縛られるわけではなく、上手に枯れていくことのほうが大事だと思います。

そして枯れるからこそ、出てくる味わいのほうを大事にしたい。

あとこれは非常に面白いことに、そういう「めんどくさい」と感じる人こそ、自然体で人を惹きつける魅力を持っているようにも思います。

きっと、社会の強迫観念的な「若さへの執着」や「焦り」から離れることで、内面にある穏やかさや安定感が自然に醸成されていくからなのでしょうね。

そこには必死さではなく、むしろ余裕と包容力が生まれてくる。映画『マイ・インターン』みたいな話です。

さらに言うと「めんどくさい」と感じるようになることは、必ずしも老化や怠惰と結びつくわけではなく、むしろ「成熟」や「知性」の現れでもあると思うのです。

若さゆえの無知な猪突猛進がなくなり、良くも悪くも物事の意味や文脈を深く理解してしまったからこそ「面倒」に感じるようにもなる。

それっていうのは裏を返せば、自分の知性が豊かになり、単純なものに心が動かされなくなったことを意味しているわけでもありますから。

だからこそ、若いときの価値観によって「めんどくさい」という感覚を一概に否定するのではなく、それを自分の成熟度の指標として受け入れて、「面倒くささ」を味方につけて生きていくのは、本当はとても豊かな生き方なんだろうなあと。

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ただ、このような感覚が世間からなくなっていくのも、きっとコミュニティや共同体が世の中からなくなったからだとも思うのです。

もしちゃんと共同体が存続していたら、その共同体内での自分の役割を素直に担おうと思えるようになるはずですから。

僕が市場の外の「家族的ネットワーク」みたいな話にこだわるのも、まさにここに理由がある。若い頃の目的性を疑わずにいつまでもソレを追い続けるのではなく、そこに真の共同性を立ち上がらせることだと思います。

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『ものぐさ精神分析』の中で岸田秀さんが、「未来とは、逆方向に投影された過去、仮装された 過去に過ぎない。未来とは、修正されるであろう 過去である。」と書いていて、過去に何度も紹介してきたけれど、まさにあの話です。

ずっと市場の中での競争で、過去への後悔をどうにか未来で巻き返そうとしてしまう。

そして、必死に若作りをして、いつまでもガツガツしないといけなくなる。

過去への後悔、それを巻き返そうとする欲望をいつまでも抱き続けて、実際そんなふうに自分はまだまだ若いと思い込んでいる50〜60代が、現代社会には、山ほどいると思います。

でも決して、それだけが人生じゃない。

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僕は、どちらかと言えば、養老さんやジェーン・スーさんみたいな価値観でもって、年齢に過度に抗うことなく、自己の年齢による変化を素直に受け止めたい。

そして、自分自身の価値観の変化自体もしっかりと受容しながら、そこで起きていることの良い面に目に向けたい。

自分が変わることを恐れずに、年齢を重ねるからこそ自らに宿り始める余裕や包容力で淡々とコミュニティに対して貢献していきたいなあと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。