昨夜、行われたWasei Salonの外部イベント。
https://wasei.salon/events/a4e8486fa941
登壇者のみなさんのお話を聞くなかで、「色」とは、個性(固有性)に近い感覚なのだと僕は判断しました。
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では、なぜ仕事において、そもそも「色(個性)」が必要だと思うのか。
自己に色がないと焦る気持ちは、一体どこから生まれてくるのか。
イベントを拝見しながら、それがとっても気になりました。
その一つ目の理由は、色が自分の哲学や信念、軸に直結しているからなのでしょう。
自己がこれから進むべき道の指針ともなる。
一方で、二つ目の理由としては、それが商品(受注)と直結しているから。
つまり、色そのものが他者(競合)との差別化にもつながっているからです。
マーケティング視点でも重要なものだと感じてしまうのでしょう。
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そう考えると、色の扱い方は、自分にとって「毒」にも「薬」にもなるのだろうなあと。
扱い方を間違えると、非常に厄介なもの。
まずは「色(個性や固有性)とは何なのか」その本質を理解する必要がある。
だからこそ、若いうちは積極的にさまざまな色に染まってみることが重要なのでしょう。
そして、その中でも「なんだかいつも自分は赤みが強いなあ」とか「青みが強いなあ」とか、浮き上がってくる自身の色の傾向を見定める。
そして、その自分特有の色の傾向との付き合い方、扱い方を意識して学んでいく。
具体的には、自分の中で日々実践を通じて発見したり、書籍や他者から学んだりしながら、少しずつ自分のものにしていく。
それが遠回りのようで、1番の近道な気がします。
間違っても、いま流行りの色や、他者が扱いやすい色に自ら染まっていくことはしない。それが一番危険なことでしょう。
レッドオーシャンに自分から突き進んで行くようなものですから。
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ここで、少し話は逸れますが、近ごろ民藝について色々と調べている中で、
柳宗悦の『工芸の道』の中に、「工藝に現れる変化の美は、風土の美である」という一節が出てきました。
以下、その詳細について少し引用してみましょう。
ー引用開始ー
何人も自然に叛き人情に逆らって、器を作ることはできない。自らを欺いたとて、器の前には偽ることができぬ。都会人にどうして農民の工藝ができよう。また日本の農民が露西亜(ロシア)の民藝を摸したとて何の意味があろう。
工藝は模倣を許さず侵略を許さぬ。与えられた風土の岩の上に、工藝の城が固く築かれてある。故郷を離れる時、人にも温まる席がないように、故郷なき工藝は流離に終るであろう。
交通の発達した今日、地上の距離は非常に短縮されたではあろうが、それでも地方的風土や、民情や物資を無視するなら、いかなる工藝にも破綻は来るであろう。
ー引用終了ー
自然に叛(そむ)くことなく、民情に逆らわず。
地方的風土や、物資を無視しない。
そうすることで、自ずから「用の美」があらわれる。
それは人間とて同じことだと、僕は思います。
参照: http://inkyodanshi21.com/blog/12682/
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つまり、色とは意図的にベタベタと塗り重ねるものではなく、自己の内から、そして自然や他者との関係性の中から、発見するものなのだろなあと。
今夜、Wasei Salon内で行われる『民藝』をテーマにしたオンラインイベントの中でも、皆さんとそんなことについてもお話できたらいいなあと思っています。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。