親や家族、学校の先生が教えてくれた「ねばならない」。
会社や書籍など、他者から能動的に学んだ「ねばならない」。
これらは本来、自分の人生をより豊かなものにするために、先人たちが教え与えてくれたものです。
その本質は、「人生をより豊かなものにする」という目的に対するための「手段」です。
にも関わらず、現代を生きる僕らは、この「ねばならない」に苦しめられてしまっている。
その理由と解決策について、今日はこのブログに書いてみようと思います。
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この点、「ねばならない」は、最初のうちは健全な成長発展に直結し、自分の人生の豊かにするための手段として機能します。
たとえば、「読み書きそろばん」ができるようにならなければならないという小学校で習うような教えは、ちゃんと自分の人生の役に立っているはずです。
この半強制的な教育がなければ、社会で生きていくことさえままならないでしょう。
でもそのうち、必ずどこかで頭打ちするようになります。
その理由は単純で、自分の時間や能力は有限でも、豊かな人生をおくるための手段は無限に存在し、「あれも、これも」と欲張っていくうちに、いつか必ず捌ききれなくなるからです。
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しかし、そんなことには気づかずに、いつのまにかそのかき集めた手段を実行すること自体が、自己の中で目的化してしまう。
「本当にその手段が必要なのかどうか」を自分で考える余裕もなくなり、次第にドンドン近視眼的になっていきます。
人生を豊かにするための数ある選択肢の一つでしかなかったはずの「ねばならない」が、自分人生はコレを達成しない限り、絶対に幸せになれないんだという誤った認識に変化してしまう。
これがまさに、自分が自分にかけてしまう「呪い」へと変貌する瞬間です。
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このような呪いにはさまざまな種類があり、例えば、
「難関大学や資格試験に、必ず合格しなければならない」
「不妊治療をして、絶対に子供を授からなければならない」
「社会的に成功して、いじめていた相手を必ず見返さなければならない。」
「さもなければ、自分は一生幸せにはなれないのだ」と思い込んでしまう。
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でも、繰り返しますが「ねばならない」の本来の目的は、豊かな人生を生きることにあったはず。
それだけが唯一の手段ではないのだから、そのことに気づき、自分で自分の「呪い」を解く必要がある。
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では、どのようにして、この思い込みから抜け出すことができるのでしょうか。
そのために行える解決策は、以下の3つだと僕は思います。
まずひとつは、常に目的を明確に掲げておくこと。
手段の目的化を避けるために「なぜ自分がこの手段を実行しているのか」
その理由をいつでも見返すことができるように、紙に書いて貼っておくなど、いつでも自分の目の届く範囲に置いておくこと。
そして次に、なるべくはやめに自分のキャパシティをちゃんと理解しておくこと。
健全な成長発展において、多少のストレッチは必要ではありますが、そのキャパを大きく逸脱しないように心がける必要がある。
具体的には、常に棚卸しと断捨離を心がけ、自分の中のダムが決壊しないようにすること。
そして最後に、決してひとりで悩まないこと。
近視眼的になればなるほど、その様子は他者から見れば一目瞭然です。
信頼できる相手とゆっくりと対話することで、自分の中で手段が目的化していることに気づけるはずです。
何を隠そう、まさに昨夜の僕がそうでした。
このWasei Salonのオンラインイベントを通じて、今日このブログに書いたことを改めて気付かされたのです。
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いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。
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