「有利」や「役に立つ」という概念が議論されるたびに、いつも考えてしまうことがあります。

どうしても私たち人間は、まず先立つ欲望があって、その欲望から生まれる目的があって、その目的に合わせた「何か」が進化してきたと考えてしまいがち。

この人間の思い込み(前提)があるからこそ、陰謀論のようなものも自然と生まれてくる。

なぜなら陰謀論とは、この誰かの欲望→進化(変化)の過程にあてはめて、私たちが見たいと願うようにこの世界を好き勝手妄想させてくれるからです。

また、一神教における「神の視点」もきっとそう。

最初の目的をつくり出した存在として、超越的な「神」の存在を想定することができるから、「神の意志」として世の中の出来事をすべて説明することができた。

だから宗教も同じように、広くこの世界で受け入れられてきたのだと思います。

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でも現実の世界を多面的に見渡すと、全くそんなことがないことが少しずつ見えてくる。

あくまで、今この瞬間から過去を振り返ってみて「有利だった」「役に立った」ことが存するだけで、それがたまたま偶然今も残っている(機能している)に過ぎない。

決して、目的に沿った「何か」がそのためだけに進化してきたわけではないはずです。

以前、ある生物学者の方が「生物は進化しているというよりも、むしろちょっとずつ不利になるように退化しているようにも見える」と、NHKの番組で意味深に語っているのを観て、なんだかそれが今も強く印象に残っています。

つまり、生物は遺伝(分裂)を繰り返すたびに、少しずつエラー(差異)するようにコピーしているのだけれども、

そのエラーの大半は、役に立たないどころか、なんの意味さえも持たず、むしろ研究者の視点から見れば不利になっているようにさえ思える。

でも時々ある機能が、後の世から見たら「有利だった」「役に立った」という事実が立ち現れてくるというだけなのでしょう。

もちろんそこから一転して、さらに後の世では不利な条件だと判断されることもあると思います。塞翁が馬という言葉のように。

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厄介なのは、人間はその結果だけを歴史の中に見つけて、自分に都合よくその過程を再現したくなってしまうこと。

再現が可能だという思い込みや誤解が、そこに生じてしまう。

それが、ナチスのような優生思想も生んでしまった。ダーウィンの進化論も、そうやって悪用されてしまったのだと思います。

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「でも現にこの世界には、有利な人間や、役立つ人間がちゃんといるじゃないか!」そう思う方もいるかもしれません。

でもそれさえも、特定のひとが有利になるゲーム、そのルールを勝手に作り出した人間がいるに過ぎない。

オリンピック競技などを見ていても、それは強く感じるところです。

具体的には、骨格が大きくて筋肉量が多い人間が有利になるゲームとルールをまた他の人間がつくりだし、そこに人間を走らせただけとも言える。

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一方で、自然界における「有利」や「役に立つ」という概念はすべて妄想に過ぎず、後付けでしかない。

たまたま、現在から過去を振り返ったときに、有利な構造が偶然そこに生まれていて、のちの人間の視点によって「有利だった」「役に立った」という評価づけがなされるだけ。

でも、それを通じてこの世の真理、社会の真理のように捉えてしまうと、何か大事なものを見落としてしまうような気がしてなりません。

もっとこの論理を自分なりちゃんと理解して、しっかりと把握していきたいなと思う今日このごろです。

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