先日、セネカの『人生の短さについて』を読みました。

セネカは、紀元前1年ごろに生まれたローマ帝国の政治家、ストア派哲学者です。

僕自身、ストア哲学の考え方は大好きで、以前からずっと気になっていた本ではありました。

特に以下のツイートに引用した部分が個人的にはものすごく刺さったので、改めてご紹介しておきます。

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「真の閑暇は、英知を求める生活の中にある」これは、僕もとっても同意です。

しかし、人々は何か事業に成功して、日々の雑事に時間と心を奪われなくなっても、今度はソースティン・ヴェブレン著『有閑階級の理論』の中で書かれているよう「有閑階級」に成り下がってしまう。

つまり、その地位や名声をひけらかすためだけに、時間とお金を浪費してしまう。

そして、それはブルジョワ階級だけではなく、大衆文化にもしっかりと引き継がれていて、「消費」という形で記号化され、消費合戦のためだけの多忙な毎日を今も多くの人が送ってしまっている。

つまり、セネカが生きていた2000年以上前から、その問題の本質は何も変わっていないようです。

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では、どうすれば私たちはセネカの言う「真の閑暇」を得られるのか。

僕らが生まれる前、戦後の日本でもそれを探求しようとした時期はあったらしいのですが、それは単に行き過ぎた階級社会ゆえの反動だったようです。

その後、高度経済成長とともに格差社会が解消し、労働環境も改善するなかで今は見る影もなくなりました。

それは、先日このブログの中でも書いた通りです。

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思うに、人類の歴史はずっとこれを単に繰り返しているだけのように思います。

具体的には、階級格差が徐々に大きくなり、人々が食うに困り、その反動で社会革命が起こり、享楽的な生活が短期間だけ訪れて、また格差が徐々に広がっていく。

社会の仕組みや構造上、人間が一定数集まれば必ずそうなってしまうのだから仕方ないと言ってしまえば、それまでなのかもしれませんが、

やっぱり僕はセネカが主張する「真の閑暇を共に楽しむ空間をどうやったらつくり出すことができるのか」に、とても興味がある。

このWasei Salonももちろんそうです。昨日サロン内に立ち上げたいと宣言した「ニュースダイエット」のグループも、共に「真の閑暇」を得るための機会と方法を具体的には考えていきたいと思ったから。

日々見なくてもいいニュースに時間と心を奪われないように。

そのうえで、皆さんと一緒に「真の閑暇」を謳歌していきたい。

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さて、短くてとても読みやすい文章なので、『人生の短さについて』(光文社古典新訳文庫)は、興味がある方にはぜひ読んでみてもらえると嬉しいです。

今日のお話も含めて、この本が皆さんにとっても何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。

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