昨日こんなツイートをしてみました。



これを読んで、「百聞は一見にしかず」のような話だと思われるかもしれません。

しかし、この話がもっと複雑だなあと思うのは、甘口否定派は百聞にとどまらず、ちゃんと「一見」しているのです。

いやそれ以上に、実際に自分の舌でこの醤油を試し、体験したことがあるわけですよね。

ただし、この醤油を体験すること以外はすべて、自分の視点や価値観、立ち位置などは全てそのままなのです。

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実際にその土地に赴いて、それ以外の要素と混ぜ合わせれば、すんなりと理解できるようなことであっても、それだけを切り取って判断してしまうから、わけわかんなくなる。

そして、さまざまな事柄において今、この「醤油論争」のようなことが起きているように僕には見えます。

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自分の視点や価値観からは一歩も動かずに、単体だけ触れて体験したつもりになって、相手の価値観を否定してしまう。

それは伝聞となにも変わらない。いや、もしかしたらそれよりもタチが悪いかもしれません。

東京に出てきて、押しの強い友人から「おまえは本当にこの醤油が美味いと思うのか?」と問われて、実際に東京で売られている魚につけて食べてみたら、大して美味しくない。

そうやって、まんまと鞍替えしてしまう。

上京して声の大きい著名人の意見を鵜呑みにして、リベラルになったつもりで地元に帰り、「家族や地元の友人の考え方が古い」と否定する構造ともすごくよく似てるなあと思います。

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物事がその土地独自に進化を遂げた理由には、必ずそれ相応の理由がある。

メディアやSNSに影響されて、その背景を自分で調べもせずに、一見した程度で否定はしたくない。

しっかりとその地に訪れて、その背景を含めて多面的に判断した上で、自分の意見をちゃんと持ちたい。


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醤油の話から、だいぶ飛躍してしまいましたが、そんなことを昨日、鹿児島で食事をしながら考えました。

今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、何かしらの参考になったら幸いです。