2020/11/18 11:39
直感力が研ぎ澄まされ、創意工夫が発揮されたときに本当の多幸感が訪れる。
長期間、スーツケースとバックパックひとつで移動生活をしていると、当たり前ですが「これがあると便利なのになあ」という場面によく陥ります。
でも最近は、そんなときほどワクワクするようになってきました。
なぜなら、自分の中の創意工夫が発揮される場面だからです。
まさに「ないものはない」という状態。
今日は、そんなお話を少しだけこのブログにも書き残しておこうかなあと。
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さて、実際にそんな場面に遭遇したとき、まず一番最初に考えることは、どうにかしてソレを手にせずとも、同様の満足感を得られないか(課題解決できないか)ということです。
大抵の場合は、自分がすでに所有しているものを組み合わせればどうにかなってしまうものです。
それでもうまくいかない場合には、いま持っているものを素直に手放して、代わりに新たに課題解決できるものを入手します。
そうすることで、より一層、機動力の高い持ち物へと高めていくことができる。
いい意味で、スパッと損切りして次に投資することができるんですよね。
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身の回りの物理的な所有物に対して、このような考え方ができるようになると、
今度はライフスタイル全般においてもこの発想が影響してきます。
具体的には、毎日の食事や人間関係、スケジュール管理や家計簿管理などにおいても、まずは付け足すことよりも、引くことを考えるようになる。
当然、便利になるものを買い集めて所有したり、人を雇ったりしてしまえば、一時的には便利になり、その悩みからは開放されるでしょう。
しかし、そうすることで、自身の直感力はどんどんと低下し、創意工夫における本来の多幸感からも遠ざかってしまいます。
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長い人類史を振り返ってみても、常に人類は創意工夫の高揚感に突き動かされて歩んできたことが、よくわかります。
無駄をそぎ落とし、その中で上手にやりくりしていく。
千利休の茶の湯などは、その最たる例と言えるのではないでしょうか。
「ないものはない」という無双感は唯一無二で、大変心地よい多幸感を人間にもたらしてくれるものです。
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20代前半のころは中国で暮らしていて、月給も現地の通貨で約10万円ほどだったので、半ば必要に駆られて断捨離生活をしていました。
しかしその10年後の30代前半の今は、手に入れようと思えばいくらでも手に入れられる、しかしそれでも手にしなくてもいい喜びを最大限に感じています。
一度この喜びを体験してしまうと、他のものには変え難い喜びがあるなあと感じています。
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「あれがない、これがない、だから私は不幸なんだ」
そんな悲観的な言い訳からは無縁の生活。
むしろ、なければないほど、幸福になる。
これからも、自分という人間の中に最初から内在している直感力を最大限に発揮できる環境に身を置きつつ、創意工夫して得られる人間の根源的な幸福感を探求していきたいなあと思います。
今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても何かしらの参考となったら幸いです。