先日配信した建築設計士・黒木さんとイケウチオーガニック・益田さんのVoicyゲスト回。
これを収録するために京都へ向かう新幹線のなかで、岩波新書から出ている『和菓子の京都』というオーディオブックを何気なく聴き始めました。
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この内容がものすごくおもしろかった!休むことなく、一気に聴き終えてしまいました。
ちなみに本書は、室町時代から長く、御所に餅や菓子を納めてきた「御粽司(おんちまきし)・川端道喜」、その15代目の当主の方が書いた本になります。
「和菓子の京都」と言いつつ、切り口が和菓子であるだけであって、その本質は京都文化全体にまつわるお話。
この本を聴いてみて改めて京都という町は本当に興味深い町だなあと思わされました。掘れば掘るほど、おもしろい。
今日はこの本の感想と、最近のインバウンド観光、及び排外主義のトレンドなんかにも思うところを少し書いてみたいなと思います。
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この本の中で、僕が特に印象に残ったのは、京都では奢侈贅沢を行うと、幕府に潰される、だからその分、町民はお金ができると、教養や文化に流れていたというお話です。
事業でお金が入ってきても、お上に目をつけられたらすべて持っていかれるから、生活文化に浸って、人生の肥やしにしてしまう。そこに人生の生きがいを求めていたのが京都人である、と。
一方で、単純に儲けたい人は京都を出て大阪へ行く。そして実際に大阪で一山当てても、彼らは京都には一切戻ってこなかった、と。
何が言いたいかと言えば、そうすることで初めて保たれる文化や教養があったんだ、ということです。
これは本当に、良くも悪くも、ですよね。そして、それが単純におもしろいなと思う。
一見すると、お上による財産没収というネガティブなことが、庶民の知恵のなかで町民文化を栄えさせる一番の原動力にもつながった。
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まさに、いま大河ドラマ『べらぼう』で描かれていることでもあります。
江戸時代、松平定信の贅沢禁止、かつ厳しい言論統制のなかで、それでもいかに人生を楽しもうとするか、そのときに江戸の町人文化が花開いた。
そして、現代社会には、もう強権的な幕府は存在しないけれど、でも京都では今も、人々の「いけず文化」や、白い目による同調圧力が存在するわけです。
こういう人間社会の力学を、ちゃんと理解しておくことって、かなり大事なことだよなと思います。
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大河ドラマ『べらぼう』でもさんざん描かれていたように、昔は資産がある人間たちに、散財させる仕組みがちゃんとあったんだと思います。
そして、その散財する側のほうにこそ、面倒で窮屈な作法も山ほどあった。
つまり、お金を持っている人間のほうが正しく遊ぶために窮屈になる仕組みだったわけですよね。これも、現代とは真逆です。
そして、当時の「黄表紙」つまり、メディアによって見事に統制も保たれていた。
京都の祇園や江戸の吉原文化もそうだけれど、そうやって厳しい作法のなかで、市中に還元させる仕組みがしっかりと築かれてあったわけですよね。
つまり、豊かになった人間には豊かになった人間としてのお役目としての金の使い方があったし、それを粋と野暮という感覚で統率していた。しかもそれも半強制的に、です。
そんなことをしていた、江戸や京都の町民文化というのは、改めてすごいなと思わされます。
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じゃあ、それが一体いつから、そして、なぜなくなってしまったのか。
それは、地方から作法やルールを知らない田舎出身者がやってきたからだそうなのです。
この話も、非常に興味深い。
今度は、先日もご紹介した、田中優子さんの『芸者と遊び 日本的サロン文化の盛衰』という本から少し引用してみたいと思います。
芸者「文化」の消失は、サロン的な社交の場の消失と言ってよかろうし、それはまた身体的動作いわゆる所作によるコミュニケーションの文化の消失をも意味していた。まさに近代日本の皮肉とは、この花柳界というサロンを消滅させつつ、鹿鳴館などという紛い物のサロンを社交場として作ったということである。
(中略)
政治家や軍人が新橋、赤坂の花柳界を社交場として使用していて、実際上はその機能を果たしていたかに見えた。しかし彼らの遊び方があまりに幼稚で下劣であったせいか、その場での粋なり通なりにならんとする習練を積まなかった。言い換えるなら、彼らこそがその社交場を土足で踏みにじった元凶でもあったと言えよう。
これは本当に目からウロコが落ちるような視点ですよね。
結果として、日本的なサロン文化から一体何がなくなってしまったのか。
著者の田中優子さんいわく「のんびり」とした空気だそうです。幕末まで、当時の花柳界のサロン内に存在していた、のんびり感がなくなってしまった。
これは分野もジャンルも異なるけれど、コロナ禍のときも本当に旅好きな人たちが静かにまわりに迷惑をかけないように互いに気を使いあって旅をしていた感じと、とてもよく似ている。
でも、そこから今は一転して、インバウンド観光客という「よそ者」が入ってきた途端、「のんびり」した空気が一切なくなってしまったことに非常によく似ているなと思うのです。
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また、現代はメディアによって、その統制が取れるわけでもない。
むしろその逆です。
圧倒的に稼いでいて発信力があるひとたちでさえも、旅先のコスパうんぬんで騒いで、さらにそれをブログなどで紹介してしまうから、余計にコスパ思考が世に浸透する。
しかもそれが一番読まれるコンテンツにもなるわけです。というか読まれるから、そんなコンテンツもドンドン量産されてしまう。
つまり、読まれるから書かれる、書かれるから読まれる、そしてその「コスパとタイパ」の価値基準が広く浸透していく。まさに「逆回転の蔦屋」状態です。
現代は、「粋と野暮」が、「コスパとタイパ」思考に置き換わったと言っても過言ではない。
本来、文化や教養への投資を率先すべき層が、最も効率的な消費を推奨してしまうという皮肉です。
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コスパ思考は、かぎりなく良質なものをありえないほどの安価で購入したいという庶民の願望であり、そんなコスパのいいものにしかお金を払わない状況が続く。
確かにそのようなマインドセットを備えた人間が、経済的に豊かになることは間違いない。経済自由人になるための秘訣は、常にコスパタイパ思考を持ち合わせること。
ただし、それを実際に実現し達成した人たちまでが行うのは、やっぱりどこか間違っている。
富裕層たちにこそ正しくお金使ってもらう必要がある。しかも、傍若無人に振る舞うのではなく、むしろより一層「粋」に使ってもらう必要がある。傍若無人は野暮だと感じてもらうことが肝心であるはずで。
その時に大切だったものが、文化や教養だったはずなんです。
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このあたりの文化的感覚の復活のさせ方って、いま本当にむずかしいなと思います。
そして、インバウンド観光だけを頼りにしながら一見さんをカモにするような商売が横行し続けてしまうわけですよね。
それ以外に、観光地における現場の人々がお金を巻き上げる手段がないわけですから。
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で、これは何に似ているかと言えば、戦後の米軍基地とその周辺の歓楽街と構造は一緒だなと思います。
ちょうど昨日観た邦画『宝島』の中では、まさにそのような問題が描かれてありました。
あの映画は、沖縄のアメリカ軍による占領の歴史、ソレに抗う現地の沖縄の人々の物語で、史実をもとにしたフィクションだけれども、
でも同時に、現代の「インフレ・円安・インバウンド観光」の話でもあるなと思いながら、僕はあの映画を観てしまいました。
そして、映画の中に描かれてあった経済至上主義の本土の人間たちが「経済が潤って、沖縄や日本が豊かになればそれでいい。そのために沖縄の人々が多少犠牲になろうが関係がない」という論理を当たり前のように振りかざしてくる。
文化の抑制、教養による抑制なんて最初から一ミリも考えていない。
そして、アメリカの経済的な豊かさに擦り寄る日本人が自分たちに都合の良い社交界をつくって都合よく豪遊をする。
これは、インバウンド観光客に擦り寄る現代の各観光地の日本人たちと、全く同じ構造だと思います。あの映画の中で描かれていた沖縄の人々の怒りはそのまま、今のインバウンド観光における日本人の怒りと酷似しているなと感じます。
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真の意味でお金を使わせる、循環させるための仕組みこそが本来の教養だったはず。
そういう教養を復活させることが、いま本当に大事なんだろうなと。とはいえ、インバウンド観光客をメインターゲットにしているうちには絶対に起こり得ないこと。
繰り返しますが、僕は排外主義的な話をここでしたいわけじゃない。
そうではなくて、経済原理に流されてしまうと一体何が起きてしまうのか、という話と、そのうえで、なぜ京都や江戸には現代とは異なる文化が花開いたのか、その逆説がここにあるという事実を、ちゃんと認識しておきたいなと思うのです。
排外主義に陥らず、かといって市場原理に全てを委ね過ぎず、文化や教養と、そのちょうどいいバランスを模索することが、いま本当に問われているのだと思います。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
