最近始まったNHKの新番組、織田裕二さん主演の『ヒューマニエンス』。

毎回楽しみに観ています。

最新回のテーマは、人体の「毛」について。



本編とは直接関係ない部分で、織田裕二さんが自身の頭髪に対する悩みを打ち明けるシーンがとっても印象的でした。

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「この年齢になって思うのは、はやく全部白髪になるか、禿げるか、どっちかはっきりしてくれ!もう、染めるのがめんどくさいから!

今も実はちょんちょんと白髪がある。でもそれを見せるにはあまりにも中途半端で、これがどっちかハッキリしてくれないかな」と織田裕二さん。

その発言に対して、ゲストの稲垣えみ子さんは「でも、中途半端も人生の一部じゃないですか。」と諭します。

織田裕二さんは、この言葉に一瞬の悩みを見せつつも、「そんなにかっこよくは生きれない!」と受け入れるのを拒みます。

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このやりとりを観ながら、「あー、この織田裕二さんの気持ちはとってもよくわかるなあ」と思ってしまいました。

そしてこれこそが、人間の生きづらさの要因でもあるんだろうなあと。

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近年、「美しくなりたい」という人間の根源的な欲求とともに、「美しく枯れたい」という悟りにも似た願いがトレンド化しつつあります。

「人生はすべて諸行無常、誰もが老いるものだから、いつまでも若さを求め続けるのはみっともない。そうではなく、自分の老いをしっかりと受け入れて、美しく枯れよう」と。

女優の樹木希林さんが、亡くなったあとも変わらずに人気を博している理由は、彼女が美しく枯れた女優さんだったからだと思います。

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でも僕らは、織田裕二さんが悩むように、その過程の「中途半端な状態」が耐えられない。

何でもかんでも、0か1かで考えてしまいがち。

「美しくあるのか、枯れるのか」どっちかハッキリしてくれと。

本当は稲垣えみ子さんがおっしゃる通り「その中途半端な状態もすべて人生の一部」なんですよね。

いついかなる場面においても、いまこの瞬間の私の状態が本来完全であるはずで、もともと。

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だからこそ、自身の中途半端な状態(まだらな白髪混じりの髪の毛など)を認められるか否かが、とても重要なことなのかもしれません。

この時期、まだらに色づき枯れ始める木々たちは、決して自身の中途半端さに対して嘆いたりはしません。

とても些細なことではあるけれど、人間の「生きやすさ」にも直結する話だなあと思いました。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考になったら幸いです。