僕らは旅をしたり、移住や留学などで新しい土地で暮らし始めたりしたとき、

どうしても「感動」や「喜び」などポジティブな感情ばかりにフォーカスして(期待して)しまいがち。

自分がその土地を訪れてみようと思うきっかけとなった誘致のPRが、基本的にすべてそのような「甘い言葉」で埋め尽くされているからこそ、ある意味では仕方のないことなのかもしれません。

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でも僕は、異文化に接するときの最大の魅力は「なんか嫌だな…」って感じてしまう自己の落ち込みや、そこから生まれてくる「怒り」や「苛立ち」など、普段なかなか立ち上がってこないネガティブな感情のほうだと思っています。

なぜなら、それこそが自分の価値観を浮き彫りにして、時に内省を促し、成熟へと向かわせてくれるものだから。

きっと僕自身が体験した一番最初の大きな異文化交流の始まりが、中国だったからかもしれません。

最初に中国に暮らし始めたときは、本当に何から何まで嫌なことの連続でした。

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でも、そうやって、違和感のある文化(広義の意味での他者)に浸っていくうちに、自分の中の成長の余白が浮き彫りになってくる。

「あー、自分はこのような出来事を目の前にしたときに、感情が掻き乱されるのか」と。

そんな自らの経験を通じて、異文化交流においてはネガティブな感情も「感動」や「喜び」と同じぐらい価値が高いものなのだと、本当の意味で理解できたのだと思います。

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「でも、普段からネガティブな感情は良くないものだと、ブログで書いているのは、おまえ自身じゃないか!」というふうに思ってくれている方もいるかもしれません。

たしかに、湧き上がってきたネガティブな感情に、自己中心的な評価や意味づけを行い、何か自身の言動と紐付けて、外の世界に発露させ、他者を巻き込んでしまうことは問題です。

しかし、内心に留めているうちは全くもって問題ない。「内心の自由」はそのために保障されているのだと思いますし、そうやってグワングワンと掻き乱されているときにこそ、新たな問いは立ち上がってくるものです。

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つまり、プラスでもマイナスでも、自分の感情が大きく振れたときこそ、大きなチャンスなのだと思います。

その掻き乱されている感情を、つぶさに観察してみること。

少なくとも、僕のまわりで旅や異文化交流を通じて、いつも楽しそうに振る舞っているひとは、そんなふうに、自分の中に湧き上がってくるネガティブな感情さえも常に楽しそうに待ち構えている印象が強いです。

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もちろん、この話は異境の地を訪れたときや、異文化交流に限った話ではありせん。

日常の対人関係だってそうですし、新しい職場などでも同じこと。

新たな対象(広義の他者)に接することで、自分の中に自然と立ち上がってくる感情の振れ幅こそが、学びの源泉。

世間に流布する広告や、エンタメ作品に影響を受けすぎて、ポジティブな「感動」や「喜び」の感情ばかりを追い求め過ぎないこと。

意外と大切な人生の豆知識かなと思っています。

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