国民国家における大衆の並列化は、どのようにして実現されたのか?

歴史的な定説は、印刷技術の進化、つまり新聞などによって届けられる情報が画一化されたからだということになっています。(摂取する「情報」が同じになるから)

でも、印刷技術のまえに、各人の食事の変化が大きかったのではないかと僕は思います。

具体的には、国民国家を形成する大衆が、一斉に似たようなものを食べ始めた。

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たとえば日本の場合、明治に入って全国で小学校が整備され始めます。

そこで西洋的な食文化に基づいて給食が出されるようになって、どんどん食べるものが変わってきたはずです。

それまでは、各地の気候風土に合わせた食物を食べていたはずですが、明治ごろから国民の食事から多様性が失われ、ドンドン画一化されていった。

その影響はかなり大きかったのではないでしょうか。

もちろん、「食べたほうがいいもの」の情報は、新聞や雑誌などの活字メディアを通じて、お上から広く国民に届けられたわけですから、相互補完関係にあったことは間違いありません。(ニワトリとタマゴのような関係)

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現代において、この国で大衆の並列化に間違いなく大きな影響を与えているのは、コンビニ弁当(お惣菜や冷凍食品も含む)でしょう。

コンビニの冷凍食品やお惣菜シリーズが広く普及し始めたころと、スマホやSNSが流行り始めたタイミングが同じだったことは、決して偶然なんかではないと思います。

もちろん現代においても、その情報が伝播するために、テレビCMやウェブメディア、SNSに投稿されるアレンジレシピなどが相互補完的に作用していたことは間違いありません。

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摂取する情報が変われば、人は変わります。

でも、その摂取する情報を変えるためには、まずは食事から変えていかなければいけないのだと思います。

摂取する食事が、各人の不安や焦り、寂しさや悲しさの感じ方にも大きな影響を与えている。(感情の浮き沈みも身体の中で起きている化学反応によるものだから)

そのような感情から生まれてくるメディアに対する渇望感や好奇心もまた、食事の影響によるものと言えるでしょう。

つまり、自分自身を変えたければ、時間配分でも付き合う人でも住む場所でもなく、まず第一に着手するべきは食事からなのかもしれません。

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ぜひ、まわりを見まわしてみてください。同じような情報を摂取しているひとたちは、かなり高い確率で似たような食生活を送っているはずです。

大衆と並列化したくなければ、まずは食事から積極的にズラしてみること。

逆に、海外などへ行って、現地の人たちの気持ちを本当の意味で理解したければ、情報だけでなく食事から現地のものを積極的に摂取してみる。

そうすることで、本当の意味で現地の人々の気持ちを理解することができるのかもしれない。「郷に入っては郷に従え」という言葉はまさに、です。

今日のお話が、いつもこのブログを読んでくださっている皆さんにとっても何かしらの参考となったら幸いです。