僕は「準レギュラー」という概念が結構好きです。

具体的には、ゲストや単発で参加をしていたら、それを繰り返すうちに、実はファミリーになっていたみたいな感じ。

非常にわかりやすいのは、テレビ番組「水曜どうでしょう」の「やすけん」こと安田顕さん。伝わる方には、伝わる比喩だと嬉しいです。

テレ朝の深夜番組「内村プロデュース」とかも、この感じが明確にあったように思います。

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じゃあ、一般的なレギュラーと、準レギュラーの具体的な違いとは一体何か。

それは、最初から「レギュラー出演者」として契約を通じて、関係性を先に規定しまうわけではなく、後から振り返ったときに「いつの間にかそうなっていたよね、あれ、いつからだっけ?」と言われるような存在であることです。

前者のほうが、順序としては正しい感じがしても、後者のほうが人間的で自然だと、僕は感じるんですよね。

本人たちもお互いに気づかぬうちに、巻き込まれていたというような、あとから振り返ったときの「訂正可能性」のような話にもつながります。

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そして、さらにおもしろいのは、この「準レギュラー」という概念みたいなものって、意外にも「観客(視聴者)」がそれを規定していることなんです。

今日の一番の重要なポイントはここかもしれません。

具体的には「我々はもう同じ共同体のファミリーじゃないか」という言葉に対し、観客や他の成員が追認するような形で拍手喝采をおくるみたいなイメージ。

その拍手としての追認によって規定されるのが「準レギュラー」という資格であって、当事者間の契約だけでは決してそうはならないところも、またおもしろい部分だなあと。

この三つ巴の関係性、その当事者全員が「いつからかはわからないけれど、既にそうなっていた」と認識しているほうが、本物の関係性に僕には思えるんですよね。

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で、ずるく言えば、この外堀から埋めていくという感覚、「気づいたらそうなってしまっていた」という状態を僕は常につくり出していきたいなあと思うのです。

そうやって巻き込まれていくのが、きっと現代的で正しい共同体のあり方だよなと強く思うから。

実際、「水曜どうでしょう」のディレクターである藤村さんと嬉野さんと以前一緒にお仕事をさせてもらっていたときに、この空気感をつくるのが本当に絶妙にうまい方々だなあと、いつも強く感じていました。

僕自身は、ウェブコンテンツ作成を請け負っている末端の業者だと思って、めちゃくちゃよそ者だと思って、飲み会でも隅っこのほうに座っているわけです。

でも、他人行儀が一切ない感じで「当然のように」迎え入れてくれる。

そして、あの独特な雰囲気で、大泉さんたちに向けるようなまっすぐな質問を、僕にも投げかけてくれる。だからこちらも、心からそれに答えたいなあと思わせてもらえるんですよね。

とはいえ、だからと言って下手に気を遣われすぎるわけでもなく、いい意味で放っておいてくれる。「えっ、新顔で間違いなく違和感あるはずなのに、こんなに空気のように放置されるの?」とも思う。

このアンビバレントが、めちゃくちゃ居心地がいいなあと感じましたし、チームをつくるときにとても大事だなあと思ったんですよね。

居心地の良さというのは、構われすぎることでもなく、放って置かれすぎることでもなく、ちょうどよくこの他人行儀じゃない感覚において、適度な距離感を常にキープし続けてくれることだと思います。

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あとは、地方移住の決め手の話の話をいろいろな方にインタビューさせてもらっているときにも、似たようなことをよく思います。

移住を検討し始めて、初めて訪れた土地において「この土地に、骨を埋める覚悟があるのか否か」といった、最初から0か100かを問われるのは、現代人にとってはあまりに重たい。

そうじゃなくて、何度か地域に通ううちに、おずおずと「この土地に移住しようかと思っているんです…」と語り始めたときに「何を今さら!もう我々は同じコミュニティの成員じゃないか、いつでもおいで!」と言ってもらえるような関係性。

シチュエーションなどはそれぞれに微妙に異なりますが、このような形で移住を決めたというひとは、僕がお話を聞かせてもらっている限り、本当に多いなという印象です。

で、こうやって相手に強く意識をさせない形、良い意味でいつ離れても許されるケア的な態度から、外堀をうめてくれて、あとは自分が飛び込むだけという状態を作ってくれるのが、良いファミリーや共同体のあり方なんだと思います。

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また、先日参加したIKEUCHI ORGANICさんの京都ストアで開催された72周年のイベントも、まさにそのようなイベントでした。

今回は、高校生の頃からIKEUCHI ORGANICに通っている双子の高林姉妹が、メインスピーカーとなるようなイベントでした。

僕が編集長を務めている「イケウチなひとたち。」というIKEUCHI ORGANICさんのオウンドメディアでも過去に取材をさせてもらったことがあります。


今年、おふたりが社会人になる年齢のタイミングで、これまでのイケウチ関連の体験をもとにしながら、池内代表をはじめ、京都ストアの常連さんたちと一緒に対話形式のイベントをするような企画。

6年前、講演会の登壇者と、それを聴いている高校生という構図から始まり、店舗に来るだけでも緊張していたおふたりが、京都ストアの常連のみなさんのまえで非常に堂々とお話をされていて、これだよなあと思ったんです。

あー、素晴らしい巻き込み力だし、「準レギュラー」感があるなあと思いながら、僕はその様子を眺めていました。

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最初から、お互いの力量を把握し、即戦力として契約するレギュラー関係も決して間違っていないし、そのほうが生まれてくる突破力は強いだろうなとは思う。

でも、もしそうやって最初から契約を掲げてしまっていたら、きっとうまくいかなかったと思わせる"何か"も同時にあるなと思うんです。

せっかく築けたかもしれない関係性を取りこぼしてしまっているというような。

具体的には、お互いにとってハードルが高すぎたり、下手にお互いに恐縮したり、気を遣いあったりしすぎて気張り過ぎた結果、破綻していただろうなと思える何か、です。

そうじゃなくて、お互いに力が入り過ぎてしまう状態はできるだけ避けながら、気づいたらそうなってしまっていた、さらに、わたしたちがお互いにそう思っているだけではなく「観客」が規定しているからから、今さら断れないし、他者も認めてくれているから勇気を持って飛び込める、というのがいいなと。

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僕は、自らがコミュニティ運営をする限り、これからもできる限り、このような「準レギュラー」として溢れ出てくるファミリー感を大事にしていきたいなあと思っています。

そして、これもまた「時間の魔法」がなせる技なんですよね。

相手のことを、自分が思うように操作しようとするわけではなく、「あなたは、あなたの思うままでいい」という働きかけ、そんな勇気づけを行いながらも「また会おう」を繰り返してきた結果として、お互いに想像もしなかったような関係性が振り返ったときに、そこに立ちあらわれてれているわけですから。

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これは最近、何度も書き続けているような気がしますが、現代は他人へのアドバイスや、過度な働きかけ、おせっかいなんかは「余計なお世話」になりがちな世の中なんです。

ここが現代の一番の特殊性と言っても過言ではない。

そんな時代においても、どうやってお互いに助け合える共同体を立ち上げていくにはどうすればいいのか、それを考えるしかないわけで。

そのうえで、いま大切にするべきは、共に歩んできた時間の経過、振り返ったときにそんな唯一無二性を立ち上がらせることだと思います。

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で、繰り返しにはなってしまいますが、その関係性を規定したり承認したりするのは、観客側のほうで、その観客のみなさんと共につくりあげていくこと。

この観客が最後の一押しをする「主役」であり、メインの役割を担う方々でもある。

実際、前述したIKEUCHI ORGANICさんの前述したイベントにおいても、京都ストアの常連さんたちが観客として存在していたから生まれた関係性だと思います。

僕も、今回のイベントに参加するためだけに京都に訪れて「なぜ、わざわざ京都まで来てくれたのか?」とイベント後に京都店長の益田さんから問われたのですが、それは僕にとっても、おふたりが大切なファミリーのような存在に思えたから。

そして、僕がその「観客」としての立場として承認し、見届けたいなあと素直に思ったから。

このような役割を担わせてもらえること自体が本当にありがたいことですし、きっと会場にいた人々は、みなさん似たような感覚を抱いていたんだろうなあと思います。

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最初からゴールを見据えてつくる対人関係や強力なチーム、そこから生まれる突破力も大事だとは思いながらも、僕はこういう関係性のほうが好きだ、というお話でした。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話は何かしらの参考となっていたら幸いです。