トンマナや空気がハッキリしないところの場の雰囲気をあたためておくこと、これからやってくる人たちを受け入れる余白をつくること。そんなことが大事だよなあと思いながら最近、mixi2を触っています。

このような新しい場所に、率先して乗り込んでいって「危なくないよ、大丈夫。興味があれば覗いてみてね」というスタンスで、僕自身が臨むことが大切なんだろうなあと。

そんなふうに、先に土壌を耕したり、入りやすい空間を作り出しておくことこそが、自分のような人間の役割なんだと、リアル・ネット問わずよく思うようになりました。

少し様子を見たり、たじろいでしまうことであっても、自分のこれまでの経歴から「まあ、あいつだったら仕方ない」と思われるような形において、率先して飛び込んでみて、あとからやってくる人たちが、なるべく辛い悲しい想いをしないように場を整える。

そんな役割を担えたらと、常々考えているのですが、じゃあ、それは一体なぜなのか?今日はそんなお話です。

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この点、僕が一貫してインターネットの世界が好きな理由は、その空気やトンマナが先にあらかじめ決まっていないからです。

でも、基本的に多くの人は、その空気やトンマナが最初から決まっていて欲しいと願うということに、大人になってから初めて気が付きました。

これは完全に余談なんですが、先日、地元の友人の結婚パーティーに参加したときの経験が、この考えをより一層強く印象付けられる経験となりました。

いわゆる通常の結婚式ではなかったので、みんなが何を着ていくのかや、いくら御祝儀を包むのかなどに悩み、同級生のLINEグループが大混乱。

新しいやり方をしてみると、こんなにも人々のあいだで、戸惑いや議論が生まれるものなのかと、そのときに強く実感したんですよね。こうなるとわかっていれば、そりゃあ既存の慣習や空気って大事なんだなろうなあと強く痛感させられました。

最初から、あらかじめ慣習が決まっていたほうが楽で、その理由も「慣習だから」という理由になれば、誰も一切反論できないわけですからね。

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でも僕はやっぱり、その新しい空気やトンマナを自分たちで自ら作り出せることにこそ、かけがえのない価値や意義があると感じています。

ひとりひとりの意志の持ち寄り方によって、ガラッと場の雰囲気が変わってしまうという共同幻想のようなもの。

自分たちの中に内在している底力、その力強さを多くの人に味わって欲しいという思いが強くあります。これは僕の中で、何か新しいことを始めるときの一貫した姿勢でもあるなあと。

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この点、僕たちはどうしても、いつだって世界に遅れてやってきた存在ですから、すでに世の中にできあがっている「空気」を読むことに、とても長けてしまっています。

そして、その空気や慣習に合わせてハックをすることが、賢い立ち振る舞いとみなされている。実際、そうすることで人気もお金も集まり、影響力や権威性も獲得できるわけです。

でも一方で、それに違和感を覚える部分もあるはずで。どう考えても時代錯誤的な要素があったり、形式だけが残っていたりする部分もある。

だからこそ、新しい空気は自分たちから率先してつくりだしていく必要があるとも感じるはずなんですよね。もちろんその時には、そこで伴う責任も同時に引き受けなければならないわけですが。

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で、インターネットのような、これから生まれてくる新しい産業や新しいフロンティアであれば、それをまたゼロからつくり出していくことができる。

このダイナミズムのようなものを、ひとりではなく、みなさんと一緒に味わっていきたいという想いが僕の中ではとても強くあります。

いつも書いているように、自らの何気ない敬意が、目の前の相手のことをこんなにも励ましたり、勇気づけたりする、そんな力を持っているということを皆さんにも強く実感してほしいんですよね。

つまり、誰から何かをギブされることに対して喜ぶのではなくて、自分自身がギブできるもの、その本質的な力の偉大さにハッと心から驚いて欲しい。

相手の関心事に関心を寄せるという、一見すると生産性ゼロの無価値だと思える行為が、こんなにも価値があることなんだと、強く身体感覚を通して実感して欲しい。

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吉本隆明の『共同幻想論』にもあるように、最初はひとりの個人幻想から始まり、それがふたりの人間のあいだの「対幻想」となり、最後は「共同幻想」へと昇華されていく。

これをカタカナで表現すればまさに「ファッド→ファッション→スタイル→トラッド」という流れです。

最初はひとりの人間の独創的なアイデア、つまりファッドから始まり、それが次第に一時的な流行としてのファッションになっていく。そこから、もしかしたらスタイルやトラッドまで昇華されるかもしれない。

でも、現代はその真逆で、既に完成している既存のスタイルやトラッドをハックして得られる一時的な快感こそが、人生の成功だと思われてしまっている。

それはあまりにもったいないなと僕は思うのです。

たとえ周りからバカにされようとも、本当にいま必要だと信じるトラッドやスタイルになるべきことは一体何か、ソレを真剣に考えて、そこから逆算してたどり着いた、ファッションやファッドのほうを創造していきたい。それが僕の強い願いです。

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だから、トンマナや空気は読むものでも、便乗するものでもなく、自分たちでつくるものだということを何度だって提案したい。

それは僕たち自身の手で、その向き合い方次第で、新しくつくることができるものなんだということを、実感してもらうには一体どうしたらいいのかを常日頃から考えて、実行しているなということに気づきました。

そして、今ならmixi2なんかにおいても、まだまだそれが可能なフェーズ感だよなあと思うのです。誰ひとりとして、このSNSがまだなにかはわかっていない。mixiの運営側だって、きっとわかっていない。

だからこそ、そこで提案する世界観が優れていれば、素直に受け入れられる可能性があるんです。

昨日も書いたように「半クローズド空間」という特性ゆえに、他のクラスタや界隈の侵食もされにくい。

このような環境で新しい文化を育む可能性みたいなものを、僕はこれまでもこれからも大切にしたいなあと考えています。

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もっとわかりやすく言い換えると、たとえばWasei Salonで構築したような世界観を、Twitter(現X)に持ち込んだところで、砂漠に水をまくようなものです。

どれだけ努力してみても、すべてが罵詈雑言のアテンションエコノミーと、イーロン・マスクの世界観に飲み込まれてしまう。でもmixi2の場合は、まだまだそうではない。ここから広げていける。

一人ひとりが強い意志を持って、世界観を実現させようと取り組めば、どれだけ諦めかけていたことであっても、それは確かな形となって立ち現れてくる可能性もあるわけです。

一人では難しくても、その世界観を共有した人たちが、自分こそがその世界観を構築するひとりなんだという気概で望むことによって、きっと実現すると思うんですよね。

僕らは、先日の「忘年会イベント」のような場所や、日々のやり取りの中で、そのような萌芽をいつも感じ取っているはずですから。

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そしてきっと、それが単純に自分たちにとって心地よいもので、相手に無理強いするわけでもなく、ただただそうやって自分たちが満ち足りていることで、「え、なになに?」って相手側から興味を持ってもらえて、自然と味わってもらえるものともなる。

「なるほど、そういうことか」と。

僕はそうやって、少しずつ世の中に自分たちが素直に素敵だなと思える世界観を広げていきたい。

決して何か上から目線で啓蒙したりするわけではなく、自分たちのまわりから小さく着実に変化を起こしていくようなイメージで。

活動家のように大きく声を張り上げて、何か巨悪に立ち向かうことも、ときには大事なことかもしれないとは思いつつも、でもそれがあまり効果はなく、逆に「分断」を深めるだけだということがわかったのも、まさにこの15年間だったと思います。

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だとしたら、もっともっとボトムアップ型の草の根運動、ひとりひとりに内在している力を寄せ集めて、小さな現実をmixi2のような「半オープンな場」において立ち現わせていくことにも、大きな意味や価値があると思っています。

だからこそ、そのために必要な実践を丁寧に繰り返していきたい。そんなことを考えている今日このごろです。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら嬉しく思います。