先日書いたブログの中で、事業投資型クラウドファンディングの話について、少し触れました。
今日は改めて、僕がいま感じているこの仕組みの落とし穴について考えてみたいなあと思います。
まず、「投資型」と名前をつけている以上は、せめてその期間の同期間のS&P500、オルカンのインデックス投資を超えるパフォーマンスは出してくれよ、と思ってしまいます。
インフレ時代は、前借りした借金が目減りすることは自明なのだから、5年や10年先に「支援してもらったときよりも1円でも多く返したから、支援者の投資は成功しています」とかは口が裂けても言うんじゃないぞと思ってしまいます。
もしくは、たとえ元本割れをしたとしても「でも、そこに物語があったからいいよね」みたいな言い訳に回収するのも、さすがにまずいだろうと思っています。
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それって、手数料が高いアクティブファンドと同じ構造では?と感じるんですよね。
特に、ESG投資のような「社会的意義」を謳ったアクティブファンドみたいなもの。
とはいえ、そんなアクティブファンドでさえ優先順位自体はハッキリしている。
第一義的には「お金を増やすこと」。
そのうえで「理念」や「方針」も重視すること。
この順番であるはずです。だから、もし元本を減らしてしまったら、それは約束を果たしたことにはならないはず。
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でも、事業投資型クラウドファンディングは、ここの部分を、ものすごく曖昧にできてしまうところが、良くも悪くも、革新的になってしまっているなと思います。
投資なのか、クラファンなのか、どっちが主軸なのかをあえて語らないまま、支援を募ることが可能となる。
つまり、僕がこの形式に懐疑的な印象を抱くのは、2つの逃げ道が用意されているということなんですよね。
ひとつは、金銭的価値(投資のベクトル)
もうひとつは、物語的価値(クラファン・推し活のベクトル)
たとえ、将来的にオルカンなどのインデックス投資にパフォーマンスが負けたとしても、もともと好意的なひとたちが集まっているから、物語文脈で回収できてしまい、「一円でも増やして返してくれてありがとう!」となるはずですし、起案者側も居直って、元々は「物語」的価値でしたからねという話にも回収できてしまう。
さらに元本割れしても「投資型」という言葉のほうを重視して「投資は自己責任」という言葉なんかも容易に使えてしまう。
でもその「投資は自己責任」という言い方は、あくまで投資的価値一辺倒の場合において許される言葉だと思いますし、生き馬の目を抜く投資の世界だけで許される話なのではないのか、とも思うんですよね。
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つまり、プロジェクト自体がどのように転んでも、言い訳できてしまう。
また逆に利益は思う存分出ていて、物語的価値(最初に語っていた美しい物語)が失敗したとしても、「でも投資(ビジネス)としては成功しましたよね?」とも言えてしまう。
こちらも非常に厄介だなと思います。
今、社会起業家という文脈から始まったのにもかかわらず、ビジネスとして成功してしまっている社会起業家ブランドなんかも、本当に増えているなあと思います。
でも、最初に彼らを応援しようと思ったのは、その美しい物語を将来的に実現してくれると願ったから(その時間の短縮に寄与すると思ったから)であるはずで。
ビジネスとして成功することだけに喜ぶのであれば、別に社会起業的な文脈である必要はなかったですよね?となる。
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ここも、本当に大きな現代の落とし穴だなと思うのです。
成功を測る共通の尺度が「お金」になってしまっているから、ビジネス的成功を隠れ蓑にして、最初に掲げていた「美しい物語」が多少おざなりになっても、文句を言わせない構造が生まれている。
「最初に掲げた、美しい物語は何も実現していないじゃないか!」と糾弾してくるひとたちがいたとしても「あいつらは、(ビジネス的)成功に対して、嫉妬しているだけ」と、言い返せてしまう。
「いやいや、こっちは最初に提示された美しい物語に対して、共感をして応援消費や応援投資をしたのに、その実現は曖昧にしてビジネス的成功のみで語るんかい!」というツッコミは十分機能しうる。
だったら最初から、UNIQLOやソフトバンクで良かった、となる。
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つまり、「数字で評価される場所」から「感情で評価される場所」へ、もしくはその逆も然りと、都合よくワープできてしまう構造自体が、事業投資型クラウドファンディングの落とし穴だと思うというのが、今日の一番の主張です。
で、この方法が今騒がれ始めているのは「これだけ金額が集まっているということは、投資を行う価値があるんじゃないか!」と、ついつい多くの人が損得勘定やスケベ心で思ってしまうからですよね。
つまり、純然たるクラファンの熱狂自体を種にして、投資を促す方法までを見事に生み出していることにもなる。
でもその内実というのは、ズブズブの信者からの上納金をまず集めて、それを見せ金にして「これだけ集まっているということは、このプロジェクトは多くのひとに支えられているから成功すると思いますよね?つきましては、投資としていかがですか?」という、その二重構造となっている。
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ここでくれぐれも誤解しないで欲しいのは、僕は投資も否定しないし、クラファンも否定しない。
でもその二重構造の合せ技というのは、このような落とし穴があるということを理解しておきたいよね、ってことなんです。
まさに、悪魔合体みたいだなあと思います。
投資と美しい物語って、本来は、きっと「混ぜるな、危険」の代物なんです。
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ESG投資や、SDGsの成れの果てで、それは既に結論が出ていたはずなんです。
美しい物語は、投資家の食い物にされて、ハックされるだけなんだと。
でも今度は、推し活文脈における「美しい物語」で、同じことが行われようとしている。
しかも、今度は、投資の素人相手に対して、広く浅く、です。
逆に言えば、起案者側にとっては、ここをできる限り曖昧にしたいはずです。だからこそ、この方法を選ぶわけだから。
投資のギャンブル的要素と、美しい物語を含めた推し活要素を混ぜ合わせる、そんな「レッドブルウォッカ」みたいなものが、いちばん熱狂を生むとわかっているからです。
僕はカフェインも否定しないし、アルコールも否定しない。中毒性があっても、それぞれにそれぞれの役割があると思います。
でも、深夜にカフェインとアルコールを同時に摂取できる、お酒に慣れていないひとたちにも飲みやすいものを誰でも手に入るような形において提供するのは、正直どうなの?って思うということです。
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支援する側に対しても、事業投資型クラウドファンディングに支援してはいけないとは言いませんし、それは本当に個人の自由だと思います。
僕だって今後は、起案者側もしくは支援側、どちらかで活用することもあると思います。
ただ、だからこそ、この本質は投資ではなくクラウドファンディングであるということを、まずは理解しておきたい。
この落とし穴に関しては、常に自覚的でありたいなと強く思います。
投資型クラウドファンディングであったとしても、一円も返ってこない前提で投資する。これがまずは最低条件だなと思います。
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そして、そのあなたの純然たる支援の気持ちの一票(一投資)が、結果的に「悪魔的合体」を促す、その熱狂を生み出すことを促進する一票であるということも、常に念頭に置き、忘れないでおきたい。
多くの人は、その純粋な投票行動を見て、色気を出すわけだから。
これは、うさぎと狐みたいな話であって、うさぎの真っ直ぐな気持ちこそ、狐たちが色気づく一番の要因にもなる。
そしてうさぎと狐が同時に熱狂することが、プロジェクト(事業投資型クラウドファンディング)を一番加速させる要因にもなる。
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繰り返しますが、今の黎明期にこの仕組みを用いる人たちは、基本的には本当にいい人たちばかりだと僕も思います。真剣に明るい未来を信じている方々です。
僕は、彼らを批判したいわけじゃない。
でも、その成功こそが、花咲かじいさんの「悪どい爺さん」を生んでしまう。
つまり、美しい物語だけをハックしようとする起案者を必ず生み出すわけだから。
SDGsだってそうでしたよね、そのスキーム自体が悪用される。「シャンパンリベラル」を生んでしまう。
そして、そのような挙動が広がり、多方面で悪用されることにより、「リベラルそのもの」の価値が失墜してしまい、その対局にある価値観が世間で台頭することになるわけです。
現状の政治状態がまさにそうであるように、です。
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純粋な応援や支援ほど、実は世の中を悪い方向へと舵を向けてしまう、その元凶になりえるということは世の中には十分にあり得るわけだから。
今回の選挙を通して、僕らはそれをまざまざと実感したと思います。
「そんなに遠い因果関係を、一支援者が考えろというのか!」とお叱りを受けるかもしれない。それはあまりにも相当因果関係を広く取り過ぎじゃないかと語られてしまうかもしれない。
でも、それが今のインターネット文化の成れの果てでもあるわけですよね。
TwitterもFacebookもInstagramもYouTubeもnoteも、最初は性善説から始まった。
その性善説を前提にした機能や仕組みが、逆手に取られて、ハックされ尽くした結果が、まさに今なんです。
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だからこそ、同じ轍を踏まないように。
自分はいま投資をするのか、それとも「美しい物語」の推し活をしているのか。そしてその自らの行動が、社会に対して一体どのような影響を与えるのか。
トークンエコノミーなんかも含めて、推し活と投資の悪魔合体化は、これから間違いなく広がり、さらに加速していくからこそ、その落とし穴的な側面もちゃんと自覚しておきたいなと思い、今日のブログにも書き残しておきました。
いつも、このブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
2026/02/10 19:44
