才能は先天的なもの、解像度は育った過程で養われたもの、好き嫌いは文字どおり、本人の好き嫌いです。
多くのひとは、自分の好き嫌いに照らし合わせて、自分の仕事や生き方を決めようとする。
その際に、生まれ持った才能や、成長過程で養われた解像度の高さは、無視をしてしまいがちです。(というより、当たり前すぎて気がつかないことが多い)
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その状況を他者が客観的に眺めると、本人が自分の才能や、解像度の高さを生かそうとしていないから、ものすごくもったいないように思える。
でも、そんな時に決して「あなたは〇〇したほうがいいよ」などと、野暮なことは言わないほうがいいと思っています。
あくまで本人の「好き嫌い」を尊重すること。
なぜなら、本人の満足度も往々にして、その好き嫌いの達成度合いによって定まることだから。
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思うに、本人の才能や解像度の高さが活かされているかどうかは、組織全体や社会全体から見たときに「もったいない」と錯覚するだけであって、本人の満足度においては、全く関係ない事象です。
これからの時代、より個々人のやりがいが尊重されるような世の中になってくると、全体最適化されているかどうかは関係なく、大切なのは本人の納得感になっていく。
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しかし、だからこそ自分にとって「才能」とは何か?
他者より「解像度」が高いことは何か?「好き嫌い」は何なのか?
それらを、自分自身の目で冷静に見定めることができるようになることが、非常に重要なことになってくると思います。
なぜなら、これからの世の中では、誰もそんなことを説教してまで丁寧に教えてくれようとはしてくれないはずだから。
自分の手札は、自分の目で見定めるしかない。
https://twitter.com/hirofumi21/status/1002366010198855680?s=21
参照:「人生は配られたカードで勝負するしかない」という言葉の意味について僕が思うこと。 http://inkyodanshi21.com/blog/12813/
そんなことを考える今日この頃です。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。