昨日、ふと思い立ちこんなツイートをしてみました。

https://twitter.com/hirofumi21/status/1353982291333140480?s=20

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この点、たしかにジェットコースターのような企画や新たな改善を猛スピードで繰り返すことで、ユーザーが歓喜し、その場にひっきりなしに戻ってくることは間違いありません。

しかし、その背景にあるのは「取り残される恐怖」であり、それは一昔前のファストフードのようだなあと感じます。

ユーザーが求め続けていることは紛れもない事実ではあるけれど、その先に待っているのは決して「安心安全」ではないということです。

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しかし、市場を見渡してみても、既に結果を出しているのは、上手に「取り残される恐怖(FOMO)」を利用しているところだったりします。

ここで「果たして本当にそれでいいんだっけ…?」と立ち止まって考えることがとても重要だなと。

作り手側から改めて「本当に欲しいものはこれじゃないですか?」と具体的に提示してみて、そこに集まってくれているひとたちと対話しながら、心地よいポイントを共に探って、一緒に創り出していかないと絶対に見えてこない視点もある。

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ちなみにこの「取り残される恐怖」をうまく利用することが絶対にいけないという話ではありません。

例えばウェブがない時代、同じ日常が毎日繰り返される田舎に住んでいるひとが多かったときは「いつ帰ってきてもいい安心感」は、ただの退屈でしかなかったはずです。

そもそも最初は、「取り残される恐怖」も「健全な好奇心」だったはずです。

でも今は、「純粋な好奇心」から間違った方向に変化した「取り残される恐怖」を、みんなが両手いっぱいに抱え過ぎています。

だからこそ「いつ帰ってきてもいい安心感」が、逆に求められている。

つまりは、揺り戻しなんです。

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そして今朝、こんなツイートもしてみました。

https://twitter.com/hirofumi21/status/1354237264918761473?s=20

上述した話に当てはめると、みんながいま飽き始めているのは「取り残される恐怖(FOMO)」に煽られて行動することのほう。

だとすれば、次に何を欲するのかを真剣に考えてみる。

そして、それが本当の意味で「安心安全につながるのか」も徹底的に考える。(ここ非常に重要)

そうすることで初めて、より健やかに、より心豊かに、楽しい人生を共に歩んでいくことにつながっていくのではないかなあと思うのです。

Wasei Salonのメンバーのみなさんにとっても、いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考になったら幸いです。