新型iPhoneの発表を受けて、Xで「iPhone Duoが想像以上だった!」という反応が多かった気がします。

事前にさまざまな情報が出ていたはずなのに、いざ発表されると、それでもちゃんと驚きがある。

このことが、なんだかとてもおもしろいなあと思ったんです。

そこで、こんな内容をXにも投稿しました。

ハードウェアはリークできても、ソフトウェアはリークできない。
というか、そのハードウェアとソフトウェアの「総合芸術」みたいなところに、そのブランドの価値や、唯一無二のオリジナリティが宿る。
つまり、切り取られた静的なスペックではなく、動的な「循環」のほう。


もちろん、厳密に言えば、ソフトウェアの情報だって漏れることはあります。

でも、形や大きさ、搭載される機能がわかったとしても、それらが一体となって動いたときに、どんな体験が生まれるのかまでは、両方が揃い、実際にプレゼンテーションで見せてもらわないと、なかなか理解できない。

使い手の行動に製品が応え、その応答がまた次の行動を想像させる。そうした「循環」を想像するなかで「やっぱり、このブランドが好きだな」という感覚が育っていくということなんだろうなあと。

総合芸術というのは、たぶん、使う側の人間の行動や感覚まで含めて、ひとつの体験として、ちゃんと動いているということなんですよね。

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で、これは会社の仕事なんかでも、まったく同じなんじゃないかと思ったんです。

AIに仕事を任せるためには、まず人間が「うちの会社って、そもそも何をしているんだっけ?」と、自分たちの仕事を改めて知り直す必要があるとつくづく思います。

この聞き出す作業に、かなり大きな新しい仕事も生まれていきそう。

一見すると、新型iPhoneの話とは、まったく別の話に見えるかもしれません。

でも、自分のなかでは、この二つの視点は深くつながっているつもりです。

今日はそんなお話です。

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たとえば、会社の業務を一覧にすれば、「問い合わせに返信する」「商品を梱包する」「納品後に連絡する」と、順番に書くことはできる。

そして、その一覧を見ながら、これはAIに任せられそう、ここは自動化できそう、と考えていくこともできます。

ただ、その業務名だけで、自分たちの仕事を十分に理解できているのかといえば、きっとそうでもないはずなんですよね。

なぜ、このひと手間を省かず、効率が悪くても、このやり方を守っているのか。

そこを聞いていくと、その会社が何を大切にしているのかが、少しずつ見えてくることがあると思うのです。

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たとえば、商品を納めたあとに、わざわざ使い心地を直接聞く会社があるとします。

売上が立つところまでを仕事として切り取れば、その連絡は余計なひと手間に見えるかもしれない。

でも、そこでお客さんの思いがけない使い方や、こちらから言われなければ気づかなかった困りごとを知るきっかけになる。

そして、その話がつくり手に戻って、次の商品や、お店での説明の仕方までを変えていく。

そうやって変わった商品や説明などが、またお客さんの反応を変えて、その反応が次の仕事に戻ってくる。

そう考えると、その会社がやっていることは、「納品後に連絡する」という一行には収まりきらないわけですよね。

個々の仕事のあいだを、確かに何かが巡っているような状態。

そして、その循環を通して、商品も、働いている人も、お客さんとの関係も少しずつ変わっていて、その循環こそがその企業のブランドになっているとも言えそうです。

だからAIに任せるときも、「この作業はAIに代替できるか」と同時に、「この作業は、何と何をつないでいたんだろう?」と考えてみる必要があるのだと思います。

そこまで見て初めて、AIに仕事を引き継いだと言えるのかもしれないなあと。

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そして、ここからもう少し踏み込んで考えてみたいのです。

そもそも、そのつながりは、一体誰がつくってくれたんだろうか、と。

先ほどの会社で、「どうして納品後に連絡するようになったんですか」と聞いてみると、実は誰もその理由をよく理解していないかもしれない。

「そういうふうに決まっていたから、惰性的に続けているだけだった」と。

それは現代の経営のなかでは、強く批難されがちなことだと思います。

でも実は、昔あるお客さんが困っていたのに遠慮して相談できなかったことがあって、それを知った当時の先輩が「こちらから一度、聞いてみよう」と始めた仕事だったのかもしれない。

でも、その先輩はもう会社にはいない。

ただ、その気遣いだけは、いまの仕事のなかでもちゃんと働いているわけですよね。

つまり、最初から立派な理念として掲げられていたとは限らないんですよね。

誰かが困ったことや、思いがけず喜んでもらえたこと、それらが現場レベルで幾重にも折り重なって、いつしか「うちは、こうする。こうするのが当然だ」という感覚になっている。

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ここで思い出すのが、再び松岡正剛さんの語る「面影」の話です。

『日本文化の核心「ジャパン・スタイル」を読み解く』のなかに、こんな一節があります。

面影はそこに居つづけているものではありません。だからそれについてのイメージはそこには継続的には「ない」と言うしかないのですが、思い浮かべようとしたり、沈丁花の匂いなどの何かのきっかけがあったり、あるいは夏の日の思いに耽っていたりしていると、実際の「ある」以上の何かを伴ってそれが現前するのです。「ない」のに「ある」。それが面影です。


この「ない」のに「ある」という感覚が、なぜか僕にはとてもしっくりくるんですよね。

目の前にはいないのに、その人と過ごした時間まで、一緒に立ち上がってくる、それが面影。

僕は、仕事にも、そういう瞬間があるのではないかと思っています。

いつもは何とも思わずにやっていた仕事について、人から尋ねられる。その問いをきっかけに、「そういえば、あの人はこういうところを大事にしていたな」と思い出すような。

それを聞いて、自分が続けてきた仕事の意味が、少しずつ違って見えてくる。

そんなふうに、いまの仕事を通して、そこにいない人の面影に触れることってありますよね。

思想や哲学が仕事に埋め込まれているというのは、僕のなかでは、こういう状態でもあるんです。

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そして、長い月日が経過し、気づけば、誰もその由来を覚えていない。

一見すると、ただの形式にしか見えないけれど、何かのきっかけで、そこに先人たちの面影が立ち上がってくることもある。

僕には、マンガ『葬送のフリーレン』の旅なんかも、ヒンメルが残したものに触れて、その意味を知り直していく旅に見えるんですよね。

本人はもういない。でも、旅先の人々の暮らしを通して、ヒンメルがつないでくれたものに出会い直す瞬間こそが、あのマンガの醍醐味でもあるように思います。

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そしてこの話は、以前このブログで書いた、内田樹さんの「霊的成長」の話にも見事につながってきます。

内田さんは『村上春樹にご用心』のなかで、こんなふうに書いています。

霊的成長というものがあるとしたら、それは「私がいなくても、みんな大丈夫。だって、もう『つないで』おいたから」というかたちをとるんじゃないかと思います。


自分がいなくなったあとも、周りの人たちが愉快に暮らせるように、つながりをつくっておく。そのことを、内田さんは「配電盤」としての機能を全うすることになぞらえて書かれていました。

僕がこの話に強く惹かれてしまうのは、そこに意識を向けることで、すでに自分たちも、誰かにつないでもらっていたのだと気づけるからです。

いま、自分たちが安心して働けている状態、初対面の人同士でも、必要以上に疑心暗鬼にならずに話ができるような状態を、誰かが自分のいないところでも大丈夫なように、あらかじめ関係や循環をつくってくれていた。

そうやってあらかじめ行き違いをほどき、つないでおいてくれたからかもしれないわけです。

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しかも、うまくつながれているときほど、その仕事は逆説的に見えなくなるんですよね。

いちいち、その人の存在を意識しなくても、物事が自然に進んでいくようにつくられているから、です。

以前のブログでは、このことを「『つないでもらっていた』という隠されていた『贈与』を遡行的に発見すること」と書きました。

参照:ブロックチェーンと霊的成長の意外な関係。 

こんなふうに、普段はまったく意識されていない仕事のなかに立ち現れる面影を丁寧に辿っていくと、誰かの「つないでおいたから」に行き当たる。

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だからこそ、AI導入で価値を持つのは、AIに詳しい人だけではないんだろうなと思います。

現場の人と共に、その面影を丁寧に探せる人の価値も、これから大きくなっていくはずです。

「御社の強みはこれですね」と外資系コンサルのように、外からキレイな言葉を与えるだけでは、たぶん十分ではないはずで。

自分たちが先人たちから何を受け取り、何を大切にして働いてきたのかを、丁寧に知り直していく作業が、このAI時代には必ず大切になってくる。

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少し大げさに聞こえるかもしれませんが、僕は、そういうところにある種「魂の蠢き」みたいなものが存在し、その蠢きに丁寧に耳を澄ませることが大事だと思うのです。

もちろん、昔から続いていることのすべてに、大切な意味があるとは限らない。それを確かめるためにこそ、一緒に探す時間が必要なのだと思います。

そのうえで、もう役目を終えたやり方があるのなら、それが何を支えてきたのかを確かめてから、手放していく。僕は、そのことを「弔い」と呼びたいのです。

やり方を終わらせても、そこに込められていた願いは、次の仕事の進め方に受け継いでいけるかもしれないわけですから。

そんなふうに、役目を終えたやり方を丁寧に弔い、その魂部分を継承し、AIも使いながら受け継いでいくことが、僕らの世代の役割のように思っています。

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霊的成長の系譜を、ちゃんと継承すること。

そのために、仕事のなかに立ち現れる面影を、共に探していくのが、きっとAI時代の聞き手の役割。

新型iPhoneの発表を眺めながら、気づけば、そんなところまで考えていました。

そう考えると、今回の新型iPhoneの発表が、ティム・クックからジョン・ターナスへとCEOが交代したタイミングだったことも、僕にはすごく象徴的に感じられます。

スティーブ・ジョブズから、ティム・クック、そしてジョン・ターナスへ。さらに、その間で仕事をつないできた数々の人たち、そうした人たちが受け渡してきた判断や気遣い、思想や哲学が、この新しいiPhoneのなかに結実しているのかもしれないわけですから。

AIに仕事を任せようとしたことがきっかけで、自分たちが誰かにつないでもらっていたことを、ちゃんと知る作業を生み出していく。

そして今度は、自分たちも「つないでおいたから」と言える側に回っていくこと。そんな仕事のあり方を、これからもしていきたいなあと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。