自分よりも優れている人間の姿や形、言葉遣いだけを真似しようとすると、ただのコスプレになります。

それが歴史上の人物であれば、時代錯誤感がより一層際立ってしまう。

では、コスプレにならないためにはどうすればいいのでしょうか。

この点、その人が目指していた本来の目的は何であったかを徹底的に見定めることが大切。

つまり、本人が見据えていた先を探ることがとても重要になってくる。

仏教における「指月の譬(たとえ)」のような話です。

「月をさす指を見るのではなく、月そのものを見なければならない」

また、これこそが現代を生きている者が、先人たちの大きな意志を継いでいくことになり得るのだろうなあと。

今日はそんなお話を少しだけ。

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ひとは、社会の「常識」や「普通」に対して、何かしらの違和感を感じるようになると、少しずつ先人たちの言葉を探究し始めるようになります。

そうすると、すべての事柄に対してもう十分思案されていて、全部の答えが出ているような、そんなある種の「絶望感」に襲われるときが必ずやってくる。

自分が生きている意味なんてないのではないかと。

だからこそひとは、その壁にぶつかったときに「自分さえ良ければそれでいい」と享楽的に生きようとしてみたり、

その人を完コピして模倣しようとし、コスプレに走ってみたりするのだと思います。

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しかし、化学の技術は日々進歩し、人々の倫理観も常に移り変わる。

つまり世界は、今も時々刻々と変化し続けているわけです。

その状況に合わせて、新たに行動を起こせるのは、この時代に生きている人間だけ。

どれだけ先人たちが優れていようとも、今この時代に生き返ることは不可能なわけですから。


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そんな状況下で、先人たちの為してきた偉業に圧倒されて、姿形や言葉遣いだけを模倣することは、本来の目的からいちばん遠ざかることになってしまう。


そんな時こそ、上述した「指月の譬(たとえ)」を思い出し、先人たちが本当に目指したかった目的は何だったのか。何を実現したいと心の底から願っていたのか。

その目的を一刻も早く見定めて、それに見合った「手段」としての現代版の姿形や言葉遣いを創造し、身につけること。


そうやって大きな意志を継いでいかなければいけないなあと強く感じます。

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それが己の都合を超えることにもつながり、本当の意味で生を全うすることにもつながるのだと思います。

そんなことを考える今日このごろ。

いつもこのブログを読んでくださっている方にとっても今日のお話が何かしらの考えきっかけとなったら幸いです。

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