mixi2のソーシャルグラフへの気の配り方、あんまり目立たないけれど、なんだか凄まじい意志を感じるなと思います。

「おすすめユーザー」が表示される欄も、フォロワー数とかはガン無視して、とにかく居心地最優先にしている感じがヒシヒシと伝わってくるなあと。

他のクラスタや、界隈の代表的なユーザーが全然表示されない。徹底して、Xの真逆を行っていている感じがしていて、本当にすごいなと思います。

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いまのところ、インフルエンサーがいないのではなく、限りなくそのインフルエンス力、発信力の高さを無効化しにきている感じ。

Xがイーロン・マスクを中心にインフルエンサーに対して、バキバキにバフをかけているとすれば、mixi2は逆にインフルエンサーや、インフルエンス力が強く惹きつけてしまうコンテンツ(主に炎上や不安を煽る系、犬猫は除く)にデバフをかけまくっている感じ。

インフルエンサーたちも、既に参戦して使っているんだけれど、それに加速度的なバフを与えて、バイラルを意図的に起こして、広告費を稼ごうとかユーザーの不安を煽って滞在時間伸ばそうとか、そういうSNSにありがちな”いわゆるな施策”を一切していないわけです。

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もう使い始めて3日以上経つのに、いつもなら必ず見かけるインフルエンサー界隈の人々を、一切見かけない。これはマジですごいなと思います。Clubhouseのときなんかとは、明らかに違うところです。

新しいSNSが出てくるたびに「またあなたですか」と思いながら淡々とブロックする作業をしなければいけなかったひとたちが、今回に至っては一切視界に入ってこない。

「あれ?まだ始めていないのかな…?」と思って能動的に調べてみると、もう実際に始めていて、ある程度投稿していたりもする。とはいえ、そのひとのことを直接フォローしているひとたちにしか届いていない様子。

本当に徹底した一般ユーザーフレンドリー。ひとりひとりの個人アカウントを最優先している感じが一周回って、ものすごくセンスがいいなと思う。

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それよりも、居心地の良さの中で「いかにお互いに受け取り合うか」を重視している気がします。

これは、パーソナル編集者・みずのさんが書かれていたことだけれど、会社員時代にいろんな人の投稿を見てまわってリアクションつけるのが好きだったみずのさんが、「Xのlikeともnoteのスキとも違うあれを、久々に存分にやれてて楽しくて幸せ」と書かれていて、本当にそうだよなあと。

こういうマメで世話焼きなひとこそ、輝く仕組みになっているなあと思います。

言い換えると、mixi2の場合は「聴く」や「受け取る」という姿勢をSNS上でも存分に実践できる環境が本当に素晴らしい。

だからこそ、僕もドンドン聴いて、積極的に受け取っていきたいなと思わされる。言い換えると、その受取りたいひと、聞きたいひとの力の方を、うまくサービスの活性化の施策に活かせているのが、mixi2のすごいところです。

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とはいえ、そんなことしていたら、フィルターバブルが起きるじゃないか!という批判もあるはずです。

しかし、実はその対策としては、東浩紀さんが『観光客の哲学』や『訂正可能性の哲学』で紹介されている「グラフ理論」が応用されているように感じます。

グラフ理論とは、もともとは、ひととひとの関係のかたちを数学的に捉える理論のこと。

たとえば、たいていの人は見知らぬ人間といきなり友人になるよりも、友人同士もまた友人であるような閉鎖的な人間関係を強化することを好みます。

一方で、現実の人間関係を調べてみると、人々の交友は意外なほど広がっていて、意外な場所で友人の友人に出会ったりもするわけですよね。で、こちらは打って変わって「スモールワールド性」と呼ばれる現象です。6人辿れば、世界中のひとに必ず出会えてしまうというやつですよね。

人間は一方では明らかに閉鎖的なコネ社会を好む傾向があるのに、他方ではとても開放的な共同体もつくっているように見える。

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なぜそんなことが可能なのかについて、グラフ理論を用いて、東さんはこの話を著書の中で複数回にわたって紹介してくれています。

「つなぎかえ」がなければ、人はみな親密な世界に閉じこもり、社会は無数の閉鎖的な世界(クラスタ)に分解してしまう。しかし、実際には誤配としての「つなぎかえ」があちこちで起こっているからこそ、僕たちの世界はそこそこ他者に開かれながらも、ひとつのまとまりでいられるのだ、と。

つまり、人間関係は均等にメッシュ状である必要はなくて、隣近所の人たちと密につながりつつ、ところどころで誤配が起きるようなダイナミックな人の「つなぎかえ」さえあれば良い。

このあたりを詳しく説明するとややこしくなるので、ぜひ実際に本書を手に取って読んでみてほしいのですが、本当に大事なことだと思います。

そして、これがmixi2ではちゃんと起きていて「半オープン・半クローズドな空間」だと僕が思う理由もここにあります。

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で、それよりも、ここ5年ぐらいのSNSの最大の課題は何だったかと言うと、互いの意見に対して丁寧に耳を傾け合ったり、お互いを尊重したいと思っていた人たちも、アルゴリズムに抗えず、デバフを食らってしまっていて無力化されていたこと。「孤立」していたことのほうが大きな問題だったように感じます。

完全に、声の大きなインフルエンサーたちと、それにバフをかけるアルゴリズムにすべてがかき消されてしまっていた。

そしてそれがあまりにも長く続いてしまっていたがゆえに、一般ユーザーの間に無気力感が漂っていた。電気ショックを与え続けられた犬みたいに。

その価値観を変えたくて、僕はクローズドのWasei Salonという場をずっと運営してきたような実感もあります。

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で、僕以外にもそうやって、それぞれのクローズドの空間で耕されていた世界観があり、「本当に大事なことってなんだろう?」をそれぞれのコミュニティごとに考えていたタイミングだったと思います。

そして、2024年の年末、ここが再び半オープンの場において改めてつながる機会が創出されたことは非常に大きいなあと思います。2020年のコロナ以降、5年越しにその世界観がまさに誤配としてつながろうとしている。

Xのように、広く拡大していくかどうかでいったら、それは決して起きない。でも小さなコミュニティ単位の交流は、ここから盛んになる気がします。

なぜなら、似たようなコミュニティには、どちらにも出入りしているひとたちが必ずいて、彼らが積極的にそんな誤配を起こしてくれるから。

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既にみずのさんのパーソナル編集者まわりのひとたちと、ゆるやかに繋がりつつあるように感じているし、Wasei Salonだけでなく、「灯台もと暮らし」の読者だったみなさん、あとはFiNANCiEのスロースメンバーのみなさんなんかもそう。

そうやって、それぞれ出自は違えど、お互いに風通しの良い場をつくろうという意志を持ち寄れば、生まれてくる土壌がここにはある。

でも、繰り返しますが、決して繋がりすぎるわけではない。相当な近似値を叩き出していないと、おすすめにさえ表示されないソーシャルグラフの強弱によって、そこが見事に調整されている感じです。

また、これは僕が見えている世界だし、他の方にはまた、他の方の見えている世界がある。

さらに大事なことは、これは、べつにどっちのコミュニティの「ホーム」でも「アウェイ」でもないことなんですよね。本当に井戸端会議のよう。

井戸のまわりに集まって一時的な会話をしている感じ。それはぐるっと円を囲むように、車座になっていて、そこにはヒエラルキーも生じない。

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これは、本当にあるんじゃないかと思います。

もちろん、今は一過性の盛り上がりで、Xが主役であり続けることは変わらない。

でも、これまで食らっていたデバフが解除される。少なくとも、現段階においては、インフルエンサーの投稿を拡散するのはダサいという感覚が、mixi2の中には間違いなくあるなと思います。

インフルエンサーは、フォローしないという流れみたいなものもある。

これはmixi2という場が出てきて、Xが相対化されたからこそ起きた変化だなと思います。これだけでも既に人々の心情にかなり大きな変化を与えている。

で、それよりも、これまでつながりのある、純粋に好きだなと思えるひとたち、そんな目の前のひとの投稿に対して、真摯に丁寧に耳を傾け合うことのほうが、現段階においては圧倒的にかっこいい感じ。

mixi2のような「国産SNS」に求められる独自性は、このような境界線が非常に曖昧であること。誤配が起きやすいことだと僕は思います。

この「縁側」とか「あわい」のような感覚のほうが日本が、侘び寂びとか禅以上に、世界に輸出していく価値があるよなあと強く思います。

なにはともあれ、僕はしばらくこの可能性を深堀りしていきたいなと感じています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のこのお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。