最近、「情報の交差点」という概念をこのブログでも久しぶりに触れたことをキッカケにして、もう何度目か数え切れないですが、再び糸井重里さんの『インターネット的』を読み返してみました。
この本は、読むたびに新たな発見がある不思議な本です。
今回は、書籍の最後に書かれてあった「立候補するという考え方」についてご紹介したい。改めて今、この考え方はとても大事な観点だなあと思いました。
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まずは、少しだけ本書から引用してみます。
”何か、したいことがあったら、選挙ではありませんが、人に呼びかけなくてはなりません。手伝ってくれ、一緒にやってくれ、とお願いするわけです。一生、他の人のやり方を解説しているだけの素人批評家のままでいるならともかく、何か自分にやりたいことが見えたときには「立候補」する必要があるのですね。
(中略)
自分から立候補しなければ、恥もかきにくいし、痛手も少なくてすみます。けれど、それはあまりにも「相手まかせ」の受け身の生き方になってしまいます。”
で、だから自分から進んで立候補をしましょう!という話が語られてあって、これが本当に大事だなあと改めて痛感したんですよね。
そして、この考え方って本書出版から20年以上が経過して、一定数は一般化もしてきたと思います。
「あなたが本当にやりたいと思うことをやりましょう!」みたいな話が、イノベーター理論で行くと、アーリーマジョリティからレイトマジョリティ側のひとたちにも浸透し、更にインターネットの仕組みを使って、実際に実現させてみようというひとが増えてきた。
具体的にはクラファンなどを使って広く支援を集めて、自分のお店や事業を始めようとするひとも増えてきた。
それは大変素晴らしいことだなあと思います。
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でも、そうすると今度は、立候補者が乱立するわけですよね。
そしてなぜ僕らは他人の立候補に無関心なのか。それは、他人のやりたいことに対して、基本的には「しらねーよ」って話だからですよね。
特に、開業しようとしている場所が、自分の住んでいる土地でもなければ、本当に自分とは関係ない出来事になってしまう。
このときに、相手に対して興味関心を持ってもらったり、実際に応援したり投票してもらうことが大変なわけです。
糸井さんも以下のように続けます。
”しかし、立候補したとたんに、タイヘンなことも増えます。口説かれるのではなく、口説く立場になったとたんに、自分と一緒にいたらどれほどいいことがあるか、であるとか、ぜひキミにもわかってほしいことがあるとか、プレゼンテーションをしなくてはいけなくなります。自分の考えを伝える必要が出てきます。”
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つまり、立候補すると同時に、なぜ私がそれを応援しなければいけないの?という、お客様目線も非常に重要になる。
これは逆の視点に立つと「あなたを一緒に応援したいと思わせてくれる、その世界観を提示してくれよ」ってことなんだと思います。
その提示された世界観が広がるのなら、自分にとっても応援する価値があると思える。そんなメリットがあると思えるかどうか。
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この点、最近まったく別の文脈で、事業家・小林一三の「英雄たちの選択」というNHKの歴史ドキュメンタリー番組を見ました。
小林一三について改めて説明は不要かとも思いますが、明治から昭和にかけて、関西で鉄道をベースに現代に続く都市生活のスタイルを作り上げた伝説の経営者です。
鉄道敷設に合わせて、郊外に住宅地を開発し、宝塚歌劇を生み出し、ターミナル駅に百貨店を作り出した歴史的な偉人です。
で、この小林一三の成功の要因は「徹底したお客さん目線」だったのだと。自分が何をしたいか、ではなく、お客さんから見て何がいいのかを徹底して語り続けたそうです。
それが当時の事業家や政治家と全く異なる点だったのだ、というのが番組の主要なメッセージでした。
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この話を、糸井さんの「立候補」の考え方に重ね合わせると、圧倒的にエゴに振り切って立候補をし、そのうえで圧倒的にお客さん目線に徹すること、この両方を同時に行う必要がある。
そして、それこそが一番むずかしい。
なぜなら、ベクトルが真逆だからです。
でもこのベクトルが異なることを、同時に行うことがめちゃくちゃ大事なことだと思うんですよね。
今日一番強調したいポイントも、まさにここです。
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大半のひとは、どちらか一方に振り切りがち。
「俺が俺が」となって、とにかく自分が何をやりたいのかばかりを主張し、立候補し続ける。でもそれは、多くの人にとっては知らんがなであって、ともすれば不愉快極まりないし、応援する義理もないわけです。
だから、その他大勢の人たちは、そんな出る杭みたいなひとたちの失敗を横目に見ながら、今度は相手の目線に立ちすぎて、というか世間の空気を読みすぎて、すべてにおいて他者や世間に譲り、最終的に自分が何をしたいのかもわからなくなる。
そのうち「もう若くないから」とか「もう家族がいてリスクは取れないから」と言いながら、不平不満だけを言い続ける人生に成り下がる。
でも本当は、どちらの視点も大事なわけですよね。
人間は、矛盾自体が気持ち悪くて苦しいから、どちらか片方に振り切った仕事人生を送ってしまいがちだけれども、本当に大事なことは、その両立なのだと思います。
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しかも、そのお客様目線というのは、お客様にとっての「寝返り」のようなものである必要もある。
ここも非常に重要な点だと思います。
糸井さんは本書の中で、自らの問題発見の方法として「寝返り理論」という考え方を提案しています。
ぼくの「問題発見法」というのは、とても簡単です。ずいぶん昔に考えついて、いまでもこれは変わっていないという、ぼくにしてはめずらしい「大理論」(?)です。 “寝返り理論”といいます。 無意識で感じている不自由を見つける、というものです。人間は、眠っている間、何度も何度も寝返りをうっています。意識的にではなく、まったく無意識にベッドの中で身体の位置や向きや姿勢を変えています。
不快な感覚を解消するように、姿勢をたえず微妙に変化させている。このイメージ自体が、糸井さんの問題発見法になっているそうです。
その始まりのサインは、軽い不快感であり、それに気づくことが問題発見なのだと。これは本当に重要な、秘伝のタレのような大理論だと僕も思います。
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たとえば「群れずに群れたい、開かれずに開きたい、閉じずに閉じたい」そういう言葉にならない感情をうまく掬い取って、ソレを解消する方法を、うまく提案しないといけない。
現代社会における、経済合理性の外にある新しい世界観の提案と「なるほど、確かにそんな世界観があるといいね、ぜひ応援したい、参加したい」と感じられるように。
そのためには、きっと「人間とは何か」を知らないといけないということでもあるのでしょうね。
本書の中では、思想家・吉本隆明さんの「人の身体の形が変わらないっていうのが、すごく大事なことだ」という話も語られています。
糸井さんは「いまもぼくの心の奥で通奏低音のように響き続けている考え方です」と書いていますし、オーディオブックカフェにゲストでお越しいただいたときも、同じ話をされていました。本当に大切にされている言葉なんだと思います。
なにか革新的なものが発明されたり、びっくりするようなものが登場したりするたびに「これですごく変わるぞ、一気に変化するぞ」ってみんなは言うけれども、目玉の位置や鼻の数は変わらないんだ、と。
たとえば『源氏物語』のなかに描かれている、人が人に対して抱くさまざまな感情。それはいまの人たちが抱える悩みや情熱とまったく同じものであるはずだというふうに書かれてあります。
いま、AIなどが出てきて、新しいツールによって世界はガラッと変わると言われていますが、人間自体は、何百年、何千年も変わらない。そしてこれからも変わらない。
だとすると、本当に大事な視点は、そんな人間の変わらない点から生み出される「寝返りしたいポイントは何か」を考えることです。
言い換えると、いつの時代も決して変わらない人間が、変わり続ける時代の中で「無意識に感じている軽度な不快感」、そのポイントとは一体何か。そこを見つけること、本当に大切だと思います。
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最後に、誰かから応援されるようになるためには、まずは自分からギブをし続けて、自分に対してもギブしても良いと思えるひとになることが大前提だと思います。
つまり、ギブの習慣が、そのままそのひとの応援シロになるということ。
このひとは、いつも他人のことを積極的に応援しているなと思うひとには、自然と応援せざるを得なくなる。
そして、その結果として「資本」が増えたら、必ずそれはコミュニティに分配されるとも思える。だって、そのひとは常に自分から率先してギブしてくれる人なんですから。それは、金融資本に限らず、文化資本や社会資本なども含めて、です。
そんな風に、この人にギブをすれば、必ず次にバトンを回してくれると思われることが重要なのだと思います。
「あなたには散々世話になったから、あなた自身は何がやりたいの?」と聞かれて、自分の番が回ってきたときに、自分がやりたいと思うことを堂々と立候補できること。そして、もちろん応援してくれる人たち、つまりしっかりと応援者目線になれること。
このあたりは、これからもより一層大切にしていきたい価値観だなあと思ったので、今日のブログにも書いておきました。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。