現代は、いたるところで無人化が進んでいるような世の中です。

羽田空港のようなターミナル空港に行くたびに、それをヒシヒシと強く感じます。

じゃあ、なぜそうやって猫も杓子も無人化に向かうのかと言えば、単純に経営する際に無駄なコストをかけたくなくて、利益を増やしたいからですよね。

そして、そんな無駄なコストだと思われている大半というのは人件費となっているのが、第3次産業が中心の現代社会なのだと思います。

ゆえに、その人件費を下げるために、人間の労働者を、ことごとくAIやロボットに置き換えていこうとする。それが今の時代の大きな潮流です。

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その結果、お客様との直接接触する部分が、一番コストがかかり、人間と人間とが接触する部分であるという判断になる。そこで生まれるヒューマンエラーが、一番経営の邪魔をしてくる弊害だというように。

だからこそ、管理職の方々、特に直近の数値目標を達成することだけが自らのミッションであると信じている管理職の方々は、そういうリスクでしかない場ほど、人間から機械にすぐに置き換えたがる。

そうすれば、ヒューマンエラーが極力避けられて、エラーが起きにくくなりますし、接客ができるまで行う教育コストも一切かからない。

数字として、非常に管理がしやすいものにも置き換えられて、管理職の人間からすると、本当に良いことづくしです。

そして、現場の問題に対して「事前に」対処するとは、つまりそういうことです。

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結果、世の中がドンドン無人化が進んでいくのは、必定。

コロナのような感染症を世界全体で僕らは同時に体験することによって「非接触型」という大義名分だった時代を経由しているから、それはなおさらのことです。

管理職からすると、無人化に乗り出したかった自分たちにとっては、まさに渡りに船、願ったり叶ったりな状態なのだと思います。

具体的には、セルフレジ、チャットボット、タッチパネル注文、配膳ロボットなどなど、ありとあらゆる最後のお客様との接触部分が人間から、エラーを吐かない(エラーは使う人間側のせいにできる)無機質な機械に、置き換わっていっていますよね。

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一方で、お客様との直接のタッチポイントではないところ、社内の雑務やバックオフィス業務は、未だに生身の人間を起用しがち。

ブルーカラーの単純作業は言わずもがな、企画やキャンペーン部分を考えて、実行するホワイトカラーもそうだと思います。

こちらのDXは全く進んでいない印象です。でも僕は、そういう部分ほど、AIやロボットに任せたほうがいいと思います。

にも関わらず、直接お客さまと接触できる部分、そんなエラーが起きやすい花形の部分ほど、ドンドン人間からロボットに置き換わってしまっているように思う。

羽田空港の場合、目に見える部分だけでも、保安検査場のベルトコンベア部分や、トイレ掃除、売店の品出しの部分を人間が行っていたりします。

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繰り返しますが、管理する側の人間が「人間(お客様)に対して、人間(従業員)をぶつけたくない気持ち」は、痛いほどよくわかる。

そこには、明確にヒューマンエラーのリスクがありますから。

でも、そうやって面倒くさいものから遠ざかろうとして、人間同士のリスク避けてどうするんだと思う。

だったらもう、いっそのこと人間をやめてしまえ、と思ってしまいます。

人間の「人間らしさ」を奪って、本当にどうするんだと思う。

そこにこそ、その企業や団体のファンになるための秘訣があるはずなのに、一番大事な果実の部分を捨ててしまっている気がしてならないです。

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これがそのまま進むと、そのうち「子どもには、ロボット以外接触させるな」というディストピアの世界が訪れるのも、時間の問題だと思います。

実際、すでにそういうことを主張しているテック信者のひとたちは多いですよね。

AIに子どもを育てさせたほうがいいというふうに語り、そんな実験がしてみたくて、子どもが欲しいというような、ぶっ飛んだ言説も飛び出してくるような始末です。

彼らは、人間はヒューマンエラーを犯して、ときに感情的になって、虐待をする可能性があるから、子どもに対して人間を接触させる必要なんてない、と語ります。

それは次第に飛躍していき、学校や塾、ジャニーズや宝塚のような芸能関係の場所だけでなく、親でさえ自らの子どもに触れるな!となっていっても全くおかしくない。

親は、社会の財産である子どもにとってときに害悪なんだから、子どもを人間に育てさせるなと、と。

でも、本当にそれでいいの?って思ってしまう。

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自分も相手も、かけがえのない人間だから、ときに間違えるし、エラーも起こすけれど、同時に喜びや感動も、そこから生み出されてくるはずなんですよね。

特に、ひとが誰かのファンになるっていうときは、まさにそうで。

そんなことは、家族という小さな社会や共同体の関係であれば、すぐに分かることなのに、ちょっと大きくなったときには、それがまったくわからくなる社会の不思議。

だからこそ僕は、最後の接点の部分は、絶対にAIに手渡したくないなあと思います。

一方で、バックオフィス業務、自分が他者と接触するための時間を作り出すために削れる部分は、ドンドンAIやロボットに置き換えていきたい。

僕が自分の家のフローリングなんかを掃除する必要なんてまったくないわけです。

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目の前のひとが、この世においてたった一人の顔のある他者になるという体験を一番重要視していきたい。

でも繰り返しますが、今の世の中は、その真逆を行ってしまっている。

クレームが起こりやすい部分をドンドンAIやロボットなど「非人間的なもの」に丸投げしてしまっている。

これは、本当に非常にもったいない現象だと思います。

そして、そんな無人化を促進している会社の裏側をみると「こんなにもたくさんの人間が、実は稼働していたの!?」と本当に驚かされてしまう。

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以前もご紹介したけれど、スターバックスはこのあたりの二刀流は本当に上手だなあと思います。

モバイルオーダーのようなもので、ちゃんと非接触型も担保しつつ、レジでの丁寧な接客やモバイルオーダーで受け取りに来た人たちへの最後の声がけも忘れない。

人気(ひとけ)を作り出すのが、本当にうまい。結果的に人が離れず、ファンとしてついてくる。結果的に、注文ミスのようなヒューマンエラーにも、お客さんのほうも寛大になることができるわけですよね。

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「人間と人間」で接触をし、わかりあえないという状態に何度も何度もぶつかって、エラーやクレームが生まれてくる。

その中で、ときに不足し、ときに過剰となり、それでも共に成し遂げようとするときに、人間が社会を構築していく本当の意味があるのだと思います。

なぜなら、その差分のようなものを必死で埋めようとするときに、人間の一番のクリエイティビティが発揮され、そうやって他者と交流する中で、本当の幸せを感じとることができるのだから。

コロナが大きな転機として、非接触型が当たりまえとなり、無人化が進む現代だからこそ、いまド真剣に考えていきたいこと。

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さもないと、この荒波に飲み込まれて、自分の会社を愛してくれていると思っているお客さん、そのすべてが実は「ただ安いから」と言う理由で、使ってくれているだけのようなお客さんたちだけでした、ということになりそうです。

もちろん、そうやってグローバルに拡大していくユニクロのような企業もあるので、ソレが悪だとは思わないけれども、それを見習いすぎた結果、本当に自分が目指している部分とは、まったく逆のことをしている可能性があることだけは常に忘れないで欲しいなあと思います。

本当にDXが進むべき道筋を、くれぐれも見誤りたくはない。

それさえも結局は、手段でしかないのだから。最初の目的を見失わないように。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。