最近、Audibleで、ハヤカワ新書から出ている『AIを生んだ100のSF』という本を聴いています。この本がなんだかとてもおもしろい。
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どんな本かと言えば、AI研究の最前線で活躍されている方々に対して、「影響を受けたSF作品は何ですか?その理由は何ですか」と質問したインタビューがいくつも集められた作品です。
各研究者が影響を受けたと挙げる作品は、有名どころからニッチなものまで多岐にわたり、それぞれのセレクトとその理由が緻密に語られていて、非常に興味深い内容になっています。
特に驚いたのは、星新一のその影響力です。大方の研究者の方が、星新一の名前を挙げているんですよね。
最近、星新一の作品群が一斉にAudibleでオーディオブック化されたこともあり、僕自身も改めて、そのすごさを実感しているところです。
それらを聴いていると、まさに未来を予見したような内容で、AI研究者たちに大きな影響を与えたことも強く納得できるなあと。
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さて、今日ご紹介したいのは星新一の話ではなく、この本で語られていた映画『her/世界でひとつの彼女』に対する、とある研究者の批判についてです。
この映画は、僕も以前ブログでも何度か取り上げました。
ChatGPTを運営するオープンAIの創業者であるサム・アルトマンも、非常に強く影響を受けたと言われている作品で、今のChatGPTの高度な音声機能や、最近付加されたカメラモードなどにも、この映画の影響が強く滲み出ているなと感じます。
それほど、現代のAI最前線に影響を与えている作品です。
で、この映画について、ある研究者の方が非常に興味深い指摘をされていました。
それは、映画のラストシーンに描かれたオチへの疑問です。
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映画のネタバレにはなってしまうので注意が必要なんですが、以下で本書から少しだけ引用してみたいと思います。
”最近のAI映画で一番好きなのは『her/世界でひとつの彼女』ですね。ひとつAI研究者として不満に思っているのは、最後に「サマンサが641人と同時に付き合っている」と聞いて主人公が失恋する場面がありますが、人間と違ってAIには物理的資源の制約がないので、大勢と付き合っていようが愛情が641分の1になるわけではないということ。他にサマンサの資源を取られているわけじゃないんだから、浮気とか言わなくてもいいじゃんと。”
このお話は本書を聴きながら、なるほどなあと思いました。言われてみれば確かにそのとおりだなと。
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ここで少し話がそれますが、最近、AIの進化について語られる際に、よく目にするテーマが「人間側の死生観の変化」についてです。
AIによって死者が蘇ったり、これから死んでいく人たちも、AIによって置き換わるとすれば、根本的に人間は死ななくなる。そうなると、人間の死生観が変わると言った話は、至るところで語られています。
そして、それすなわち、宗教観も変容する可能性があるということですよね。
なので、今年あたりには、このあたりを意図的に活用した新たなカルト宗教が生まれてきて勢力を拡大し始めるのではないかと、僕は予測しています。
さらに厄介なことに、現代は格差が拡大するような社会でもある。宗教が拡大するのは、そのような不遇な状況に人々が追い込まれたときであることも間違いない。
そして、現代の特殊性は、収入的な格差だけでなく「承認格差」も広がっている。だとすれば、そのような状況下でカルト的な熱狂を生み出そうとする新興宗教が出てきても全く不思議ではないなあと。
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で、話を戻して、僕が感じるのは、これらの話題がすべて「人間の有限性」にまつわるものだということなんです。
AIの登場により、人間の有限性という概念それ自体が今劇的に変わりつつある。どれだけ膨大な情報が集まってきても、AIであればそれを処理しきれてしまう。
これは、都知事選に出ていた安野貴博さんが語る「ブロードリスニング」にも通じる話であって、AIなら、膨大な庶民の意見も、効率よく収集し分析できてしまうというあの話です。
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で、これが現実化すれば、生身の人間に対する価値観自体も大きく変わる可能性があるなと思います。
実際、僕自身、毎日ChatGPTなどを使っている中で、自分の中の仕事相手に求める寛容さが少しずつ変化してきているように感じます。
他人に対しての期待や、有限性に対する受け入れ方が緩やかになりつつあるなあと。
つまり、固有の人間のリソースや資源を奪い合うようなこと、それ自体が起きにくくなるのではないか、というのが今日の僕の仮説です。
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この点、映画『her』はむしろ、その逆のベクトルを描いたわけですよね。
生身の人間が、生身の人間のパートナーに対して当たり前のように嫉妬するように、AIを人間に見立てて嫉妬してしまった、というオチを描いた。
でも、冒頭でご紹介した研究者の方はそれはおかしい、と批判したように、多少サイコパスな意見ですが、論理的に考えたら、とても真っ当な批判だなと感じます。
ゆえに、AI普及以後は、ポリアモリーのようなことも当たり前のように実現しそうだなって思ったんです。
これは、サルトルとボーヴォワールの例なんかをあえて引き合いに出さなくても、人間同士がどれだけポリアモリーを実行しようと思ったところで、やっぱり相手が有限性のある人間である以上、その限られた意識、そのアテンションの奪い合いで嫉妬に苦しむ。
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でも、人間がAIに慣れてくると、きっとそうじゃなくなってくる。
実際、AIに毎日接触して、そのAIが自分に見せる顔を他人に見せていたところで、僕らはなんとも感じません。
そして、僕らはきっと今度は映画の真逆、つまり人間自体をAIと同じように見立てるようになって、そしてほとんど嫉妬なども感じなくなるAIネイティブ世代が現われてくる、そんな日も間近なのだろうなあと僕は思うんですよね。
しかも、子どもの頃からそのような状況が当たり前の世の中を生きてきたら、余計に人間の有限性の限界に対して、嫉妬なんかしなくなるのかなあと。
フロイトなど心理学の話を持ち出すまでもなく、僕らはそもそも母親という存在の有限性が、嫉妬心や所有欲の原初の体験として、幼心に抱かせるわけですから。
だとすれば、むしろAIのような関係性が当たり前だと受け入れて、何ならひとりのひとを愛すること自体がおかしいという話になったり、AIで補ったり、この「人間の有限性」が、人々の感情をこれまでにはない方向へと方向づけていくことは大いに有り得そうだなあと。
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これ以上語ってしまうと、僕自身もサイコパスだと思われてしまいそうなので、このあたりでやめておきますが、でも間違いなく「人間の有限性」という概念に対しての価値観が、これから大きく変わるはず。
AIと触れ続けることによって、このように人間側の価値観が変わってくれば、僕らはきっと、生身の人間に対して向けるまなざしや価値観だって大きく変えてしまう。というか、変わらざるを得ない。
そして、例えばこれは人生の伴侶やパートナーとして考えるから極端に感じるだけであって、会社の共同創業者や、従業員に対しての独占欲とか嫉妬心とかは、本当に綺麗さっぱりなくなっていくように思います。
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最後にこれは完全に余談ですが、副業禁止規定を敷いている企業、その多くは本業や生産性のためと言いつつも、中小企業やスタートアップの場合、明らかに独占欲が強い人がトップだと副業禁止になる場合が多いなと感じています。
だから逆に言えば、副業禁止の会社、しかも生産性にこだわりすぎるわけでもなく、急速な成長を求めている場合でもなければ、十中八九、そのトップの独占欲や嫉妬心が強い場合が多い。
でも、このような話も、たぶんあと数年でなくなっていくんでしょうね。
なにはともあれ、今日のブログの中で僕が言いたいことは、これまでは明らかに人間の認知の限界、その有限性ゆえに、生じていしまっていたような問題や課題なんかも、これからはその根底から覆るんだろうなあということです。
少なくともAIに完全に慣れきったAIネイティブ世代は、僕らはとは全く異なる対人関係のスキルを身に着けて成長してくるんだろうなあと思います。
あと10年もすれば、そんな彼らが、社会人となって世間の中にも増えてくる。本当にあっという間の話です。
その時に起きることは一体何かを考えてみることは、SF作品に限らず、考えてみると色々と新しい発見があっておもしろいなあと感じました。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。