和歌山県でも初のまん防が出るくらいに、感染が拡大していて、なかなか人と集まることができない日々が続く。いつの間にか、集まることが悪だと潜在的に刷り込まれてしまっている。
数日前、フェスでマスクをしていない過去の写真を見てぎょっとしてしまう自分に驚いた。
友人が営む喫茶店に久しぶりに足を運んだ。短い時間ではあったけれど、そこにたまたま居合わせた人と世間話をする。
教科書にコロナ禍の日々が記録される時には、きっと、場末の人々の営みは残されないだろう。戦時中にも、人々の会話があって、お誕生日会があって、恋があって、忘れ物があって、夜風があったことはあまり残されていない。悲しい記憶は悲しい記録と共に受け継がれていく。
だからこそ、楽しい時間があったこと、少しの会話に救われた人がいたことについての記録を残していたい、そう思った。