最近、『今を生きる思想 マルクス 生を呑み込む資本主義 』を読みました。

この本がとってもわかりやすくて、非常におもしろかったです。

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講談社現代新書から出ているこの「今を生きる思想」というシリーズは、NHK出版の「学びのきほん」シリーズと同じぐらい、毎回楽しみにしているシリーズのひとつでもあります。

今回の『マルクス』編を担当された著者の白井聡さんは、赤い表紙の『武器としての資本論」でも著名な方。きっと、こちらの本は読んだことがあるという方も多いのではないでしょうか。

『武器としての資本論』はオーディオブック化もされていて、僕も何度か繰り返し聴きました。

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じゃあ、今回の新刊の中で、何が具体的に一番感銘を受けたかと言えば「資本の他者性」のお話です。

ただ、突然「資本の他者性」と言われても、なんのこっちゃと思うはずなので、まずは、誰もが資本主義(資本制)というものに疑問を持ったときに一度は考える「資本主義の発展によって人類の生活は快適になったのか?」という問いについて、改めてここで考えてみたいと思います。

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この点、資本が誕生した初期のころは、僕らが今のまさに受益しているように、生活がより豊かに便利になって、実際にそのような効果・効能を人類にもたらしてくれていたはずです。

でも現代は、本来は必要のないものも、同時にたくさん買わされてしまっていますよね。

それは僕らの「欲望」がありとあらゆる「広告宣伝」によって日々捏造されているからです。

この点、白井さんは以下のように書かれています。 

 資本はわれわれの幸福のためにあるのではない。     
 
その証拠に、二〇世紀後半以降、先進国で生まれたのは「消費社会」と呼ばれる高度資本主義社会だった。消費社会とは、生活を快適にする物品が大方人々の手に渡り、便利や快適を求める欲望がおおよそ満たされたので、「モノ」を消費することから「意味」を消費することへと人々の欲望が誘導されるようになった社会を指す。人々が便利なものを手に入れて幸福になり、「もう別に何も要らない」という心境になってしまったら、資本としてはきわめて不都合なのだ。
 
ゆえに資本は、例えばほとんど無意味なモデルチェンジを頻繁に行なう、無駄な新機能を付け加える、広告宣伝に大量の資金をつぎ込んでブランド化を図る、といった手段を講じることにより、人々の欲望を搔き立てる。要するに、資本が欲求不満をつくり出すようになる社会、それが消費社会である。ここにおいて、資本が人間の幸福を目指していないことは明らかである。


さて、いかがでしょうか。この欲望が捏造され続けるというサイクルはもう、誰にも止められない。

つまり、資本が資本の論理によって勝手に自己増殖を始めているような状態と言えます。

そこに、人間の介在する余地はほとんどない。

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これがまさに「資本の他者性」として描かれていた話なのです。

つまり、飼い犬に手を噛まれているような状態のこと。

資本は、人間の都合なんかはお構いなしに、自分の基準で勝手に増殖する。

それを僕らは、駆逐することができないどころか、もう止めることさえできない。

以下で、著者が「資本の他者性」に言及している部分を、本書から引用してみたいと思います。 

 マルクスの資本概念の最大の特徴、世界把握への最大の貢献は、筆者の見るところ、「資本の他者性」を明らかにしたところにある。ここで言う「他者性」とは、資本が人間の道徳的意図や幸福への願望とはまったく無関係のロジックを持っており、それによって運動していることを指す。

その意味で、人類にとって資本は他者なのだ。 「資本主義の発展によって人類の生活は快適になった」「グローバリゼーションは幸福をもたらす」云々、といった命題が無数の口から語られてきた。 果敢ない願望だ。資本はそうした人間的願望に対して何の関心もない。資本は、ただ盲目的な、無制限の価値増殖の運動でしかない。それは、人間の幸福が価値増殖の役に立つ限りにおいてはその実現を助けるかもしれないが、逆に人間の不幸が価値増殖の役に立つのならば、遠慮なくそれを用いる。


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とはいえ、じゃあ一体僕らはどうすれば良いのか。

この資本主義の仕組みの中で、世界はすでに駆動してしまっている。そして、僕らはこの世界に圧倒的に遅れてやって来てしまった。

この危うさを予見した上で実装する以前ならまだしも、このような「資本の他者性」、その構造を今さら理解したところで、もうどうにかできるような話ではなくなってしまっている。

それは、極端な話「人間は進化の過程で、酸素を取り込むようになったから、人体は酸化や老化をしてしまう」みたいな話にも近いのかも知れません。

じゃあ「老化したくないから、酸化するのはやめてくれ」といってみたところで、人体は酸素を取り込んで日々代謝をするように進化してしまったわけだから、今さら僕らにどうすることもできません。

つまり、資本の他者性の否定というのは、ある意味で自己否定というか、切っても切り離せないほど、それは人類と一体化してしまっているとも言えそうです。

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ここからは完全に僕の主観なのですが、この本を読みながら、資本とは、どちらかと言えば人類にとっての「海」に近い存在なのかも知れないなあと思いました。

豊かさと危うさ、それを同時に与えてくる存在です。

そして、まったく人間とは違う価値観で駆動している。

それをここでは「他者」と表現しているわけですよね。

そのときに、ぼくらに必要なことは、この他者をいかにコントロールするか、支配するか、不要になったら抹殺するか、ではなく「他者を他者と認めたうえで、その他者に対しての敬意と配慮」を持つことなのではないでしょうか。

決して、自分に都合よく用いる対象ではない。

この点、日本という国土は、昔から自然災害が非常に多く、日本人の周囲にはそんな「他者」が常に多数存在していました。

そして、それらをいつも「神」と見立ててきたわけです。だから八百万の神々なのだと思います。

逆にいえば、一神教の国ではそれが不可能なのですよね。ひとつの神以外の「他者」はすべて、支配と排除の対象となってしまう。

なぜなら、それが人間が「自然」に打ち勝ってきた何よりの証だったから。

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ここで少し、自分の昔話となってしまって申し訳ないのですが、僕の実家は、もう閉鎖してしまったのですが、北海道で水産加工の会社をやっていました。

その工場に併設されていた祖母の実家には「神棚」が目立つ場所に置かれていました。

そして毎朝、働く前の父がそこに手を合わせる姿を観ながら育ったのです。

僕はそれを「まったく合理的じゃない」といつも半分バカにしていました。「神頼みするよりも、ロジックや科学でどうにかしろよ」と割と本気で思っていました。

でも、そのような「傲慢さ」がきっと大きな勘違いだったのでしょうね。

「資本の他者性」を理解した今、あれはものすごく理に適っていた行動だったんだなあと思うようになったのです。

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そして、日本全国の昭和から存在している会社は、大小関わらず、必ず神棚があったはずなのです。

今でも、地方の会社に取材に行くと、当たり前のようにそこに神棚が存在しています。

そして、その役割は、どちらかと言えば「鎮魂」に近い。

今日も一日、家内安全・商売繁盛を願う場所。「商売の神よ、鎮まりたまえ」と願いつつ。

あれは、資本の他者性への敬意と配慮を忘れないためにあったのでしょうね。

その商売の神に対する畏怖の念のようなものが、今は完全に失われてしまった。むしろ、今はいかに科学的に抑制するかの議論ばかりが中心となってしまっている。

そして、実際に資本を扱う人たちも、自分たちのために存在する道具や奴隷、下僕のようにソレを理解してしまっている。

そうやって奢りを見せた瞬間に、必ずこちらの命を奪おうとしてくるのが「他者」という存在です。

だからこそ、大事なことは、自分たちに利益をもたらすためだけに存在しているわけではない、自分たちはその他者性の中に立ちあらわれている、おこぼれに預かっているに過ぎないんだ、ましてやコントロールできる対象だなんて絶対に思わないことなんじゃないでしょうか。

それがあの、「神棚」という場に込められていた想いだったんだと、今振り返ってみて強く思うのです。

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そして、まさにいま誕生しつつある「ChatGPT」のような生成系AIなんかまさにそう。

間違いなく、彼らはこれから自己増殖をし始める。資本の発展形として、人格のようなものを帯び始める。

そして、人間とは全く異なる価値観で駆動していくはずなのです。

そんな中、いま世間ではいかに生成系AIをコントロールして、支配して、自分の欲望のために活かしていくかという議論が盛んになされていますが、それは絶対にどこかのタイミングで手痛いしっぺ返しを食らうはずなのです。今の「資本主義」がまさにそうであるように。

大事なことは、その立ちあらわれてきている他者性に敬意を払うこと。

それが唯一、僕らができることなんじゃないかと思うのです。

もうそこに「神」は宿ってしまったのだから。既にデジタルネイチャーは僕らの目の前に顕現している。

去年あたりから「慰霊と鎮魂」がキーワードだと思うのは、まさにそれが理由だったりもします。

こんな抽象的で「スピリチュアルだ!」と誤解されてしまいそうな話は、誰もしないとは思うのですが、これからの時代を生きるうえでとっても大事なことだと僕は思っています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。