「そのジャンルには、一流のひとたちが参入していない。だから、その業界はまがい物だ」
いつの時代も、新しいジャンルをそのように批判する人は、世の中にすごく多い。
「もし、それが本当に次の時代のメインストリームになるのであれば、あんなに賢い人たちが黙って見過ごしているわけがないだろう。今は、怪しいひとたちしかその場にいないのだから、どうせまたすぐに消えてなくなるぞ」と。
このような批判は、インターネットの世界の中では、何度も何度も繰り返し見聞きしてきた批判です。
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現代は、自分自身で物事の善し悪しが判断できず、「すごい人がすごいんだ」という世の中になってしまっている。
その「すごい人たち」が参入していないということは、きっと大したことではないのだろう、と判断してしまうひとが増えているということなのでしょう。
自分でその可能性さえ調べることができないわけですから、当然といえば当然のことなのかもしれません。
でも単純に、一流のひとたちにとっては、今いる場所、その既得権益が美味しすぎるだけだったりするんですよね。
わざわざ自分がいま地位を築けている快適な場所を捨ててまで、新しい場所で挑戦する必要がそもそもない。
また、すでに一流の人たちというのは、一流ゆえに守るものも多すぎるのです。
大抵の場合は優秀なチームで動いていて、家族もいて、もう自分ひとりの人生じゃない場合が多いのです。
つまり、多くの人々の人生も、同時に預からなければいけなくなる。
万が一、自分がリスクを取って路頭に迷ってしまったら、彼らの人生も破壊することになりかねない。そんな風に考えると、リスクとリターンが全然見合わないんです。
だったら今のままでいようと、そんな「現状維持バイアス」が働いてしまう。
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ということで、一流のひとが参入していないから、そこは偽りの場所なのだと理解すること自体が、大きな勘違いであることは理解してもらえたはず。
むしろ、そのような場所のほうが、これからはメインストリームになる可能性は非常に高い。
また、そうやってこれからメインストリームになるのにも関わらず、一流のひとたちがいないからこそ、僕ら凡人には大きなチャンスなんですよね。
なぜなら、僕らは既存のフィールド上で一流のひとたちを越すためにはものすごく多大な「労力」と「努力」を必要とするからです。
いや、努力でどうにかなる問題なら、まだいい。血が滲むような努力をしてみるというのも、ひとつの人生のあり方として美しいかもしれません。
でも、そもそも遺伝子レベルで、追い越すことが不可能な場合が多いのです。
つまり、生まれ持った「身体」、そこから立ちあらわれている「個性」が大体の場合、一流を一流足らしめてしまっている。
たとえば、大谷翔平は、生まれた瞬間から、大谷翔平だった。
もちろん、本人の圧倒的な努力もあると思いますが、その圧倒的な努力を受け入れる器が、この世界に生まれた瞬間から、彼にそもそも備わっていたということでもあります。
そうやって、それぞれが、生まれた瞬間に持ち合わせている「器の大きさ」は完全に決まってしまっている。それを、否定できる人はもう現代にはいないはずです。
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だからこそ、僕ら凡人は、常に「エコロジカルニッチ(生態的地位)」を目指すことが求められる。
そもそも、人類が今まで絶滅せず、2023年の現在まで進化してこれたのも、そうやって自然競争の中で「エコロジカルニッチ」を常に狙ってきたからです。
それぞれの時代の地球上の覇者(たとえば恐竜やライオンなど)と、真正面から戦ってこなかったから今まで絶滅せずに生き残ってこられた。
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この点、最近読んだ橘玲さんの新刊『シンプルで合理的な人生設計』に、このお話が非常にわかりやすく語られていました。
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この本は、現代を生きるひとにとっては必読の書だと思います。
近ごろ流行している国内外の新しいビジネス書や社会科学の本の要約が非常にわかりやすく書かれていて、忙しいひとにはこれ1冊で十分だなあと思えるほど。
また、日本の現状を長年の間鋭く分析してきた橘さんの洞察力の賜物のような本でもある。文字通り、こんなに「合理的な本」はなかなかないかと思います。
さて、本書から関連する箇所を少し引用してみたいと思います。
「好きなこと、得意なこと」が見つかったら、そこに人的資本のすべてを集中し、まずは 20%の努力で 80%のパフォーマンスを達成できるようにする。これだけで、 10 人のうち8人には勝てるようになる。 そこから「一流」への道はきびしいが、その壁を超えることができなくても、分野やジャンルをずらしたり、新しい場所を探したりすることで、いずれは自分だけのニッチを見つけることができるだろう。そうなれば、あとはできるだけ長く人的資本を活用して、生涯で得る収入と評判を最大化すればいい。——生き物の 38 億年の進化の歴史を考えれば、これが唯一の「成功法則」だ。
いかがでしょうか。これは、本当に大事なことだと思います。
で、こういう話をすると「その好きなことや、得意なことが見つからないんだ!」っていうひとが必ずいる。
この点、僕がずっと言い続けていることは、周囲のひとたちの動きがなぜかスローに見えることは大抵の場合、あなたにとって得意なことだということです。
そういうものは、必ず自分の2割の努力で、8割の技能までは、すぐに習得可能となる。
ただ、他者の動きがゆっくり見えるという人間は、もちろん自分だけじゃありません。
そのジャンルにおける「代表戦」のような場所にいってしまうと、またすぐに凡人に成り下がってしまう。
当然、残りの2割の習得には血の滲むような努力が必要だったり、もしくは、そもそも生まれ持った身体、つまり遺伝子が自分には足りていない場合さえある。非常に残酷なことですが…。
そこで下手に腕まくりをして、下手なプライドをこじらせてしまうと、一生ベジータのような人生を送ることになってしまうでしょう。
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だからこそ、新しいフィールドにどんどんズレていくことが大事なのです。
産業のジャンルを変えるとか、住む場所を変えるとか、関わる人々を変えるとかしながら、私にとってのエコロジカルニッチを目指していくほかない。
でも、たったそれだけで、いつどんな時代においても、自分の居場所は必ず見つかるはずで、必ず生き残ることができるはずなのです。
ただ、大体のひとたちは「いま自分がいる業界の一流のひとたちが移行したら、自分も一緒にそっちに移行しよう」と思っているひとが多い。
そのときは、もう完全に遅いんですよね。
一流のひとたちが、またその新しい場を席巻してしまうから、じゃないですよ。
新しい場所には既に新しいルールが完成していて、一流のひとたちでもその新しいフィールドで活躍することが非常に困難だからです。
そういった横綱みたいなひとたちも、既にその業界に移住してしまっている人達に大体は負けるのです。新しい環境、その独自のルールに馴染めないから。
そんな一流のひとたちが勝てないのだから、僕ら凡人が勝てるわけがない。
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ここまで読んで、「よしわかった!自分が本当に好きな分野の事柄を、新しい世界で実現すればいいんだな!」と思っていてくれていたらすごく嬉しいのですが、ただ、ここにもうひとつ大きな落とし穴があると思っていて。
その最後の3つ目のピースが、非常に重要な要素であると個人的に思っている。
それが何かと言えば、「身体性を伴っているかどうか」です。
ここを疎かにしてしまうひとは、すごく多い。
とくにギークやハッカー思考のひとたちは、それを蔑ろにしてしまいがち。
もちろん一流のギークやハッカーはそれを理解しているから、絶対に「身体性」を疎かにはしません。あくまで一般的なギークやハッカーレベルの人たちです。
その理由は、身体性を無視しても、そこそこのポジションと小銭を稼げてしまうからなのでしょうね。
でも、真の意味で「わかる」という感覚や、腹落ちする感覚を得るためには、身体性は絶対に避けては通れない。必要不可欠です。
そのためには、家のこたつの中どころか、住んでいる町をでなければいけない。
ときには国を出る必要もあるかもしれません。ここが本当の大きな分かれ道になるかと思います。
それはまだ数値化されていない身体感覚に対して、しっかりと「敬意を払う」と言い換えても良いかもしれません。
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この点、僕の場合、自分が好きなことは「読書」であり、古典や教養科目について自分なりに調べて学ぶことです。
ただ、このジャンルには一流のひとたちは既にいっぱいいる。一流大学の教授や、紙の本でベストセラー作家であるひとたちも山ほどいます。
だからこそ、ブログやSNS、ウェブメディアやオンラインサロン、そしてNFTやweb3のような新しいフィールドに、ドンドン積極的にズレようとしてきました。
こちらのジャンルにおいて「古典」に興味を持っている人が極端に少ないですからです。
ここであれば、ちゃんと自分の場所を築くことができる。
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そして、なによりも「旅」も欠かさないようにしています。それが僕の「身体性」において、一番気をつけている部分です。
常に新しいものと古いものを自分の目で観に行き、身体を通じて体験しに行く。
これだけは絶対に外注できない分野だと思っています。
どれだけAIが発達しても、私の身体性を代替してくれることは絶対にない。
逆に言えば、これからはより一層、この「身体性」の部分が重要になってくると思います。
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僕が毎日配信しているVoicyの「旅と読書とweb3」という番組名は、「自分が得意な普遍的な分野×これまでにはなかった新しい世界×身体性」その3つの掛け算でありたいという願いを込めてつけていたりもします。
今日のお話が、いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、何かしらの参考となったら幸いです。