ひとは常に、何かしらの欠落感を抱えながら生きています。

そして、その欠落感を埋め合わせてくれるものを見つけるために、一生をかけて彷徨っていると言っても過言ではないかと思います。

それぐらい多くのひとにとって、自己の中に存在する欠落感は強力な作用を及ぼすものだと思います。

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そして、そんな欠落感を一瞬でも忘れさせてくれる「気分」を味わえる商品というのが、この世には数多く存在している。

そして人々は、「私は満たされている人間だ」という気分に浸らせてくれる商品には時間とお金を浪費することを厭わない。自ら望んで、その商品や権威の奴隷となってしまいます。

たとえば、ブランド品や高級レストラン、一流企業の肩書きや国家、宗教などなど、ありとあらゆる権威は富や権力の「象徴」としての役割があり、人間に自分の価値以上の存在としての「気分」を与えてくれるものとなっている。

最近だと、有名人のオンラインサロンなんかもその類いかもしれません。欠落感を誤魔化してくれる「気分」は、自らのお金と時間を対価として提供さえすれば、必ず手に入れられるようになっています。
 
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でも、本来インスタントに外付けできないものほど、その欠落感を養うためには、自己の内面と徹底的に向き合い、その中身を本質的に養っていくしかないはずです。

「気分」という名の金メッキでなんとか誤魔化しながら周囲を騙して生きてみても、自分の内心ではもう気付いているはずだから。

しかし、そんな欠落感を抱える自己と向き合い、惨めな気持ちを味わうぐらいなら、時間やお金を湯水のごとく浪費したって構わないと考えてしまうのでしょう。

それぐらい自己のネガティブな感情と向き合うことって誰にとっても怖いことですし、勇気のいることなのだと思います。

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だからこそ、自己の欠落感をと向き合うことから無意識のうちに逃げてしまっていないかどうか、ちゃんと定期的に点検し続けたい。

さもなければいつまで経っても「気分」に浸るためだけに、人生を浪費することになりかねないから。

年齢を重ねれば重ねるほど「今さら自己の内面を養うのはもう遅い…」と権威の存在からドンドン離れられなくなってしまいます。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの考えるきっかけになったら幸いです。