社会的に忙しいひとほど、文化やエンタメに詳しい場面って、東京では本当によく見かけます。

でも、これってよくよく考えると不思議ですよね。「そんなに忙しいのに、どこにそんな時間があるの?」と。

この疑問に対して、養老孟司さんの『ヒトの壁』に出てくる「癒し」の話がものすごく説得力があり、同時に膝を打ちました。

以下、早速本書からの引用となります。

ー引用開始ー

実社会での生活は、それなりのストレスを与える。特に都市社会の場合には、ストレスが高いであろうことは、日常経験することである。     

文化はその「癒し」として機能する。芸術、とくに音楽、絵画などのいわゆるアートは、まさに癒しとして機能している。都市社会が発展するとともに、不要不急の文化芸術が栄えるのは、都市に経済的な余裕があるからだけではなかろう。     

ストレスの多い社会生活に対する癒しとして、どうしても必要になると思われる。

文化の形が異なるのは、それぞれの文明社会が異なるからで、そう思えば、文化とは政治・経済に代表される実社会の裏面であろう。     

その意味では政治・経済と文化とは表裏一体である。

ー引用終了ー

ということは、都市の文化の形が変容すればするほど、社会における政治経済も加速していく仕組みになっているわけですよね。

どんなに仕事で疲れて帰ってきても、人々は多様な文化によって今日も癒され続けてしまう。だからブルシットジョブなんかも、何なくこなしてしまう。

NetflixやAmazonプライムなんかは、とてもわかりやすい例だと思います。

あとはUber eatsやデパ地下などの、多様な食文化の恩恵なんかもそうでしょう。

それはまるで、戦前で傷付いた戦士たちをまた戦前におくり返す野戦病院のような機能を果たしてしまっている。

だから極端な話、行き過ぎた資本主義社会をとめたかったら、本当は同時に多様な都市文化もとめなきゃいけないのかもしれない。

でも、もちろん止められません。それらは完全な蜜月関係にあるわけですから。

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この点、最近読んでいるエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』のなかで、フロイトの考えが紹介されていました。

フロイトは、この「社会的な抑圧から文化的行動へ」という不思議な変化を「昇華」と呼ぶのだそうです。

もし人々の抑圧の度合いが「昇華」の限界以上に達すると、個人はノイローゼ(神経症)となり、抑圧を減らすことが必要となってくる。

しかし一般的には、「衝動の満足」と「文化」とは"逆"比例するのだそうです。

つまり、抑圧が強いほど、より多くの文化が生まれてくる。そしてまた、人々のノイローゼ的障害の危険性も高くなる。

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このように、抑圧が文化を生み、文化が抑圧を加速させている。その事実を僕らはしっかりと認識しなければならない。

そして、その抑圧に耐えられなくなった人間から神経症に陥り、最悪の場合は自殺にまで追い込まれる。このスパイラルは決してとまらない。

つまり、いま私たちは必死で政治や経済の新たな形を模索しようとしている一方で、実のところは自らをゾンビのように復活させてしまう「文化」のほうを止める覚悟があるのかどうかを問われているのかもしれないのです。

良かれと思ってつくっているものが、止めたいと思っているものの養分となり、諸悪の根源となってしまっている構造。

不要不急はやっぱり一周まわって、不要不急なのかもしれない。

そんなことを考える2021年の年末。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のあまりに極端なお話が、自分の中で何かを考えるきっかけとなったら嬉しいです。