私たちは、ついつい話し方にも聞き方にも明確な正解があると思い込んでしまいがち。
いまの自分が採用している態度が正しい姿なのか不安であるがゆえに、「これに従っていれば間違いない」という確固たる正解を自分の外側に求めてしまう。
だからこそ、科学者や専門家、歴史家や哲学者、そして宗教家なんかが唱える、いかにも正解そうな声に耳を傾けようとしてしまいます。
でも本当は、「自分がどんな環境をつくりたいのか、どんな世界をつくり出したいのか」によって採用するべき態度は異なってくる。
そのために必要な話し方の態度、聞き方の態度があるだけで、それ以上でも以下でもありません。
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たとえば、ドナルド・トランプをはじめ、これまで誰にも服従してきたことがないことを聴衆に知らしめたいと願う起業家たちは、あえて食い気味で話すことで、彼らのアイデンティティを意図的に聴衆に伝えることができる。
一方で、心理カウンセラーやインタビュアーは、聴く姿勢をこれ以上ないぐらい相手に見せつけることによって、相手の心理的安全性を確保して「ここではゆっくりと話してもらって大丈夫ですよ」というメッセージを明確に相手に伝えることができる。
だからこそ、繰り返しますが、話し方や聞き方に明確で唯一の正解というのは存在しないのです。
本人の目的による、以上。
それでも、何か唯一の正解があるように語る専門家たちがあとを絶たないのは、不安で仕方ない大衆が雨後の筍のように現れてきて、そんな彷徨える人々の不安を逆手にとって、自らの説に引き込もうとしているだけだったりします。
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ただし、大抵の答えは、初めに想定していた答えと裏返しなことが多いことには、本当に注意が必要です。
そして、ここが話し方や聞き方の非常に厄介なところでもある。
確固たる正解なんかは存在しなくて、目的に合致した手段があるだけだからこそ、それを忠実に行っているのにも関わらず、なぜ私の場合はうまくいかないのか?
それは、入力と出力が合っていないからです。
つまり、「急がば回れ」というように、実は本来は聞くべき場面なのかもしれないし、実は食い気味で話すべき場面なのかもしれない。
往々にして、私たちが最初に思い描いていた(予想していた)スタンスとは、真逆のスタンスのほうが、結果的に自らの「つくりたい環境、つくりたい世界観」に最短距離で到着できる方法だったりする。
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こればかりは自分自身で実践してみて、その都度トライアンドエラーを繰り返しながら、私なりの仮説検証を行なっていくしかない。
でも、これこそが自らの人生を生きる、最大の楽しみでもある。
万物が流転する中で、今この瞬間において適切な選択肢を選び取れるのは私だけ。
先人たちの知恵を最大限に参考にしつつ、常に自らで考えて決断していく。
そんなことが大切だと考える今日このごろです。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても何かしらの参考になったら幸いです。
2021/12/28 10:48