なんだか、最近のTwitterの使い方として原点回帰的に、知人・友人の活動をドンドンピックアップしながら、自分のことに興味を持ってくれているひとたちに対して友人たちの活動を広めていくぐらいが、ちょうど良いんじゃないかと思い始めてきました。

それこそ、価値観が近い人同士だけの「情報の交差点」をオープンに作り出すようなイメージで。

ちなみに、この情報の交差点という話は、過去に何度もご紹介したことのある糸井重里さんの「インターネット的」に出てくる表現になります。

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この点、僕が日々ずっと考え続けているようなことは、このブログだったり、Voicyだったりで日々十分にアウトプット欲みたいなものは満たせている。

届いて欲しいみなさんには、ちゃんと届いている実感自体は強くあります。それをわざわざ、Twitterにまで投稿するまでもない気がしてきたんですよね。

逆に言うと、Twitterのそのような役割は終焉に向かいつつあるのかもなと。

うまく言えないですが、オピニオンよりも、カジュアルな情報交換の場という用途のほうに、再び大きな価値がでてきている気がしています。

たぶんこれは、揺り戻しみたいなところもあるんだろうなあとも。

人々は140文字どころか、その半分の70文字ぐらいしかTwitter上では読まなくなってきているなと実感するし、そのライトな情報を交換し合う感じに再び価値が生まれ始めているなあと。

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もちろんこのような方針は、僕自身の世代変化の問題も大きいんだろうなあと思います。

このWasei Salonのメンバーのみなさんもそうですが、僕が今ありがたくも仲良くさせてもらっている方々が、軒並み30代に突入してきた。

そして、自分の責任で、自分の仕事をできるようになってきたひとたちが一気に増えてきた感覚があります。

独立組も、企業所属組も単純に、その裁量権が5年〜10年前に比べて圧倒的に大きくなってきているとも言えそうです。

みんな本当にいい感じに、脂がのってきたなあと。彼らが、仕事も職場も住んでいる場所もバラバラなのに、タイムラインでゆるやかにつながっていることを考えると、これは地味に、めちゃくちゃスゴいことだなあと、思わずにはいられません。

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この点、最近のTwitterに対する批判としてよくあるような「広がっていかない、拡散していかない」ということは、それ自体では決して、ネガティブなことではないかと思います。

昔のTwitterを求めてしまうと、たしかにその部分は大きく変化してしまったなあとは思うけれど、そういうアルゴリズムに変更されただけだとも言えそうです。

だったら、むしろソレに合わせた使い方みたいに変更する必要があるよなあと感じています。

昔のTwitterの拡散性をいまさら懐かしんでソレを望んでみても仕方ない。

それだったら、淡々と次の時代にいったほうがいい。

それは15年ぐらい前に、mixiからTwitterに移り変わったときと同じように、です。うまくアルゴリズムに合わせた使い方に変えていきたいフェーズ感が、まさに今だとも言えそうです。

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よく言われる話ですが、アルゴリズムの変更によって、良い意味で棲み分けされるようになってきたのも、地味に良い点だなあと僕は感じています。

ウォルター・アイザックソンが書いた『イーロン・マスク』の伝記の上下巻読むと本当によくわかるのですが、より彼の思想のその根底に流れているものが、強くサービスに反映されつつあるような感覚があります。

もし仮に、本当にTwitterと呼ぶよりも「X」と呼んだ方が良いようなスーパーアプリ化がなされてきたときには、もっとこの”開かれたコミュニティ化”みたいなものが進むことは間違いない。

ちなみにこれは完全に余談ですが、僕が何の躊躇いもなく未だにTwitterと呼び続けているのは、Xという名前が嫌いなわけじゃなく、今はまだTwitterのままだからというのが大きいからです。

本当にスーパーアプリ化したらたぶんXと呼ぶようになるはず。

イーロン・マスクのXという名前の変更は「これからカメックスになるよ!」という宣言をしたみたいな話で、状態はまだゼニガメなんだから、それをゼニガメと呼び続けるみたいな話に近いんです。

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話をもとに戻すと、気軽にドネーションをし合える関係性が、Twitter内で生まれることも間違いない。

そして、その履歴自体が信用スコアになっていくことも間違いなさそうです。

ポルカのようなマイクロクラウドファンディングのようなものが、アプリ内に実装されると考えたうで、それを見据えて今から動いたほうが良さそうだなあと思うんですよね。

もちろん、そこにAIやさらなるweb3文脈、具体的にはNFTやXコインのような独自通貨のようなものも絡んでくることも、きっと時間の問題でしょう。

そのときには、本当に今までにはなかったSNSと変貌し、もうTwitterとは呼べず、XはXでしかないとなっていきそうです。

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とはいえ、完全に閉じられたコミュニティではなく、もちろん「誤配」も起きやすい構造自体も健在で、ここもなんやかんやで素晴らしい。これがTwitterの最大の魅力だと言っても過言ではないかもしれない。

極端な誤配による明らかな誹謗中傷の声は、もう発信者本人にはほとんど届かない。良くも悪くも、それらの意見はシャドーバンされていて発信者本人には届かなくなっています。

この変化がすごく良いことだなあと感じています。(もちろん、その上でフィルターバブルに陥る事自体には、常に自覚的ではあるべきですが)

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さて、ここまで考えてくると、意外に願ってもない変化だったんじゃないのかなあと、最近は冷静になって思うわけです。

僕自身が、過去5年間以上、このWasei Salonなどを通して、自らが蓄積してきたそのコミュニティの知見や成功体験&失敗体験を、ここで生かさない手はないなあと感じています。

そういえば先日、友人の最所あさみさんが、最近始めたひとり喋りのラジオのタイトルを「推しの押し付け」とされていたけれど、本当にまさにそんなイメージです。

(ちなみに、このラジオ、マジで近年稀に見るスゴい挑戦だなあと感じたので、ご興味がある方は、ぜひ聴いてみて)

僕自身も、Twitter上で「応援したいひとリスト」というものをつくっていて、ここは毎日欠かさずに眺めているので、ここから日々自分のアンテナにひっかかったものをどんどピックアップしていきたい。

「推しの押し付け」を、ドンドンしていきたいんですよね。

深く考えたり、意見を書いてみたりするのは、もうブログとVoicyだけで十分だなあと。

逆に言えば、この場所で丁寧にゆっくりと対話しながら考える時間を確保できるからこそ、Twitterのような場所では、良い意味で何も考えずにそうやって割り切っていられる。

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宮崎駿さんの「作品のヒントを半径三メートルで接する人々から得ている」という有名な話がありますが、僕も応援したいひとたちの最新情報を交流する場みたいにしていきたい。

下手にバズらせて拡散させようとするわけではなく、目指すは半径3メートルの緩やかにつながっている経済圏のようもなもの。

お互いに気持ちよく仕事を受発注できるような関係性を淡々と構築していきたい。

そして、僕にとって、そのホームというか本部みたいな場所だったり、新しいことをみんなで一緒に企む場所が、このWasei Salonという感じの使い分けになっていきそうです。

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せっかく、再び東京で定住することになったので、SNSだけでなく、リアルでもそういう場をここからドンドンつくっていきたいなあと思っています。

ということで、この「応援したいひとリスト」は、未だに毎日見ているので、サロンに入っていてリストへの追加希望の方はぜひコメントくださいね。

https://twitter.com/i/lists/1512959177907339270 

この価値観に共感してもらえるひとは、一緒に引用リツイートしまくろうぜ!

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。