なんだか、最近うっすらと感じることのひとつで、「推しの地域があるかどうか」ということが、社交の場におけるひとつのリトマス試験紙みたいになっているなあと思います。

具体的には「あなたは、どこの地域をおもしろいと思っているんですか?」みたいな感じです。

正直、あまりこのようなタイプのマウントを取り合う感じだったり、相手の価値観を探るような感じの問いかけは、個人的にはなかなか好きにはなれません。

ただ、確かにそのような質問によって、目の前の相手を判断したいという気持ちというのは、本当によくわかるなあとは思う。

Voicyフェスのような対談コンテンツを聴いていても、ローカルの話題が頻繁に話題にあがるようになってきていて、これは結構おもしろい変化だなあと。

今の時代における、ひとつのシグナリング効果の役割も果たしているのだろうなあと思うので、今日はその理由について少し考えてみたいと思います。

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この点、昔は相手の見た目や肩書・所属など、そのようなわかりやすいラベリングによって、良くも悪くも相手のことを簡単に判断することができました。

特に、一番わかりやすいのは「どこの会社に勤めているか?どこの大学を出ているか?」など、共通のものさしがあるようなジャンルの判断基準によって、目の前の相手のコンテキストを理解するうえで、非常に有効だったのだと思います。

でも現代は、見た目や肩書・所属というのは、いくらでも操作可能な時代になりました。

見た目は今さら言わずもがなですが、肩書なんかであっても、複業や業務委託も当たりまえとなった現代において、いくらでもハック可能です。それは文系の大学院における「学歴ロンダリング」みたいなもの。

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また、誰と繋がっているのか、そんな人脈をひけらかすみたいな話も、役には立たなくなってきているなあと思います。

オンラインサロンのようなものが広く一般的に普及し、ファンクラブのようなものもどんどんファンに対して近づくようになってきた。

つまり、著名人ともいとも簡単に繋がることができて、お互いに認知し合うことが簡単にできるようになったわけです。

だから、「あの人と知り合いです」みたいな話だって、ちゃんと注意して聞かないと、ただサロンメンバーやファンクラブメンバーだった、みたいなことも十分にあり得るわけですよね。(それが悪い訳ではないです、本人の実力ではなく、お金次第でどうにでもなるということ。)

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さらに、社交の場のリトマス試験紙の一つであった「教養」というようなものにも、似たような変化があるかと思います。

具体的には、長編小説の作家やアーティストの作品も、その「要約まとめ」みたいなものがいくらでも溢れかえっている時代で、それに対する印象的な批評も、いくらでもネット上に溢れている。

「100分de名著」のような番組や「コテンラジオ」のような本当に素晴らしい番組のおかげで、社交の場をやり過ごすための教養だって、ある程度見せかけであったとしても獲得することが、誰でもできるようになったわけです。

つまり、実際にわざわざ「本物」に触れていなくても、いくらでもうんちくを語れてしまうような時代になったということなんだと思います。

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その他、持っているモノだって、目の前の相手が持ち合わせているものが、直営店から直接から買ったものなのか、メルカリのようなセカンドハンドで、安く手に入れたものなのかは、容易に判断することは全くできないわけです。

いくらでもインターネットによるハックが可能となった。これが「情報の民主化」がもたらした大変革だったわけですよね。

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一方で、地域だけは、まだそうじゃない。

つまり「ちゃんと、本物に触れるために自ら行動しているかどうか」は、「推しの地域」を聞くことで誤解なく判断できる。

目の前の相手がデジタルの「要約」で知った気になっているわけではなく、本当に行動しているかどうかが、それによって瞬時にわかるわけです。

「書を捨てて、街に出よう!」じゃないですが、PCやスマホから得られる情報以外に自分から直接、情報にアクセスしているかどうかが分かる。

つまり、今風のコスパ・タイパ重視の人間じゃないかがこの質問で手に取るようにわかるわけです。

これは、ブルデューの「文化資本」みたいな話にも、とてもよく似ているかと思います。(←ちなみに、僕は『ディスタンクシオン』の原著は読んでいません、まさにこんな感じ)

逆に言えば、それ以外の従来的な社交の場のリトマス試験紙の役割を担うものだったはずのものは、ことごとく役に立たなくなってきていているのが現代であり、それでは判断ができなくなってきた、ということでもあるんだと思います。

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このように、なかなか判断しづらいことを「よく訪れる推しの地域はどこですか?」の質問一つで、サクッと判断させてもらえるところは、非常に大きな変化だなあと思います。

「あなたは、あの地域における気候風土や文化に価値がある、これからの豊かさだと思っているんですね」というふうに。

そりゃあ、今の時代にこの質問自体が便利に用いられることは間違いないなあと。

もちろん、未だにこの質問の真の背景を理解しているひとはまだまだあまり多くはないだろうから、まさかこの質問でそのようなことが計られているとは夢にも思ってもいないはずです。

つまり、そこまで嫌味な質問ではない感じ、で相手のことを多面的に判断できてしまうわけですよね。

そんな意味でも、現状においては、本当に使い勝手のいい質問なのだと思います。(「最近読んで面白かった本はなんですか?」みたいな、明らかに教養がはかられているような、いやらしい質問ではないということ)

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これはたぶん、質問している側もまだ完全にはわかっていない。

この質問をしたときには、何か直感的にうまく相手を理解できると思っているからこそ、この質問を普段からしているはずなんですよね。

その背後にあるのは、きっと今日書いてきたような理由なんじゃないでしょうか。この話題から端を発した話の盛り上がり方を見ていると、僕にはどうしても強くそう思ってしまいます。

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そして、これも近年は関わる地域自体が、自ら「主体的に」選べるようになったこと、その変化自体もかなり大きいのだろうなあと思います。

地方創生ブームから「関係人口」という言葉が叫ばれるようになってはや10年、やっとその本質のようなものが見えてきたような感じもしています。

これは間違いなく、コロナ禍のリモートワークの普及したことも大きなきっかけで、地方移住や複数の拠点を持つ、他拠点生活が後押しした部分は間違いなくある。

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じゃあ、このような社交場の変化によって、人を呼びたい地域側が持つべき視点は何かと言えば、このときに「なぜ、推しているのか?」をはっきりと示せるような町並みであることは強いんじゃないのかなあと。

つまり、ここで誤解を恐れずに言えば、ある種、「推しの地域」が社交の場においてブランド化してきているとも言えるわけですよね。

それは、従来のコムデギャルソンやヨウジヤマモト、そして村上春樹のように、です。

もちろん、ここにハッキリとしたブランド価値が生まれてくれば、山古志村のような事例のようにNFTが絡んでくることも間違いない。

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推しの地域と、目の前の相手の性格や価値観にはブレが本当に少ないなあと毎回思います。

そのひとがどんな関係性を大切にするのかも、地域との関わり方で、手に取るように見えてくる(U・I・Jターンのどれなのか、など)。

それは、どこの地域の出身者なのかによって、性格の傾向がある程度はっきりしているように、です。

それぐらい地域と人との関わりというのは、総合的に織り成されるものだからなのでしょうね。

明確に好き嫌いはあると思いつつ、今後、この流れはさらに加速していくことはまず間違いないのかなと。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。