誰もが一度は考えたことがある問いだと思います。
そして、この質問に対して「それでも働き続けたい」と回答するひとの多くは、新たな出会いや他者との交流など「人間関係」を保ち続けたいことを理由にあげる場合が多いです。
このように、どれだけ金銭的に何不自由ない生活を手に入れたとしても、人とつながっていたいという感情は変わらずに残り続けるのが人間の性なのでしょう。
また、だからこそ「みんなと同じでありたい」という気持ちもむくむくと生まれてくるのだと思います。
なぜなら「他者(所属する集団の人間関係)から排除されたくないから」です。
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この点、またまた「ブッダのことば」で恐縮なのですが、ブッダのことばの中には「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」というフレーズが何度も出てきます。
人間関係の中にこそ、悩みや苦しみを生む原因が潜んでいるからです。以下、引用です。
「交(まじ)わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍(わざわ)いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め」
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でも、一方で、同じブッダの言葉の中には、以下のような「交流を促す言葉」も出てきます。
「もしも汝(なんじ)が、賢明で協同し行儀(ぎょうぎ)正しい明敏(めいびん)な同伴者を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め」
「学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁(こうまい)・明敏(めいびん)な友と交(まじ)われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め」
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一見すると矛盾するような言葉ではありますが、どちらも紛れもない真実だと思うのです。
だからこそ、僕らはこの矛盾するように思える道を同時に歩まねばならない。
きっと、僕らがこれまで「交流」だと思ってきたものは、惰性や馴れ合い、相互依存の類いだったのでしょうね。
本当の交流というのは、各人が犀の角のようにただ独り歩んだその先に生まれてくる。
そしてこの真実こそが、「これからの働く」を考えるうえで大きなヒントとなるような気がしています。
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さて、そんなことを昨夜大盛況だったオンラインイベント「働くって何だろう?vol.2」に視聴参加しながら考えてみました。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。