数字は決して嘘をつかないからです。
どれだけ感情的に煽動されたとしても、その背後にある数字自体を誤魔化すことは難しい。
必ず本物の兆候というのは、数字の中に隠されているはずなんですよね。
だからこそ、数字で記録し、そのデータをしっかりと分析していくことが重要になってくる。
それは、社会や市場に対してのみならず、自己を分析するときだって全く同じことです。
https://twitter.com/hirofumi21/status/1295142411346165760?s=20
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ただ一方で、数字に頼りすぎてしまい、足元をすくわれてしまうこともあるかと思います。
そんなときは大抵の場合、その背後にある人間の感情を忘れてしまうことに原因がある。
「数字が重要!」と猪突猛進してしまい、数字ばかり追うことで、その先にいる人間の感情が見えなくなってしまうのでしょうね。
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いま、万人に共通して理解しやすい「数字とその先にいる人間の感情」の齟齬といえば、やはりコロナの感染者数と死者数でしょう。
本来は感染者数の先に、ひとりひとりの個性豊かな個人が存在している。
にもかかわらず、数字に置き換えてしまった瞬間に、バーチャルでのっぺらぼうな存在のように感じてしまいます。
数字の先には十人十色の感情があり、それぞれの人生が存在しているはずなんです。
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そして、このひとりひとりの感情が集合し、高め合うことで、大きな波となることもあれば、ぶつかり合って、打ち消し合うことで、凪になることもある。
どれだけ大きな兆候であったとしても、最初はその気運を感じ取ったひとりの人間でしかないことは、いま肝に銘じておきたいことです。
参照:「ファッド→ファッション→スタイル→トラッド」最近の若者の中にある“道にしたい欲求”について。 http://inkyodanshi21.com/lifestyle/7352/
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さて、昨日のブログでは「一身独立」と「交流」の矛盾について書きましたが、
今日は、最近よく考えている「数字」と「その先にいる人」の矛盾について書いてみました。
参照:他者から排除されたくないから「みんなと同じでありたい」と願う人間の心。 | Wasei Salon https://wasei.salon/blogs/8a3a812b08c8
きっと、これらの矛盾の先にしか存在し得ない道があり、僕らはその道を歩もうと決心せねばならない時期にきているのだと思います。
いつもこのブログを読んでくれているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。