先日、「必ず先に『環境』が生まれている」というVoicyの配信回の中で、思想家・内田樹さんの「教育って、全然お金かからないんですよ」というお話をご紹介してみました。


ここでもあらためてご紹介してみると、それは以下のような内容です。

教育って、全然お金かからないんですよ。そんなに先行投資がいるわけでも、設備がいるわけでもない。「アカデミア」というのは、ある種の「場の空気」なのであって、知的なものが尊ばれる、あるいは知的イノベーションとかブレークスルーに対して人々が素直な敬意を払えるような空気があれば、それはすでに教育拠点になり得るんです。

引用元:内田樹著『最終講義 生き延びるための七講 』


この内容について、モヤモヤと考え続けているときに、ふと思ったことがあります。

これってまさに「コテンラジオ」のことだなと。

スタジオの豪華さとか、カメラやマイクの質とか、演者やタレントの知名度など、そういういわゆるコンテンツにありがちな派手な外部要因は何一つ存在せず、この「知的なものが尊ばれる空気」がまさにあの番組が、大人気Podcastになった秘訣なのかなと思うんです。

今日はそんなお話を起点にしながら、いま僕らがつくるべきは、私が求めている「場の空気」だよね、という話について書いてみます。

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この点、僕は前からずっと不思議だったことがあるんですよね。

それは何かといえば「コテンラジオは聴いているにもかかわらず、オーディオブックは聴けないというタイプのひとたちが一定数存在していること」です。

その理由について、ご本人たちに聴いてみると「オーディオブックは内容がむずかしいからだ」と語ります。

でも、僕からすると、選ぶオーディオブックにもよるかと思いますが、コテンラジオのほうが明らかに内容はむずかしい場合が多いと思います。

日常的に本を読んでいるような人間であっても「そこまで難解な話に切り込むのか!」とびっくりする回がよくあります。

でも、そのようなひとたちの話をよくよく話を聞いてみると、彼ら彼女らは、内容もさることながら、コテンラジオという「場の空気」を聴いているんだとわかったのです。

つまり、3人の会話のノリを心から楽しんでいるご様子なのです。

喩えるなら、お祭りの催し物よりもその雰囲気を楽しんでいるとか、飲み会のお酒よりもそのノリを楽しんでいるとかみたいな状態に近いのだろうなって。

でも、それというのは、ものすごく共感できる話なのです。

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コテンラジオは実際に聴くとわかるのですが、深井さん、樋口さん、ヤンヤンさんなど、演者のみなさんがお互いにものすごくリスペクトしあっていることがヒシヒシと伝わってきて、本当に稀有な空間だなあと思わされる。

あの番組の中から溢れ出てくる空気感を、それを味わいたいという現代人はたくさんいるだろうなあと。

決して、テレビのバラエティ番組における芸人さんたちのような、何かお決まりがあって馴れ合いをしているような感じがあるわけでもない。

また、ビジネス系ウェブメディアの動画コンテンツのように相手の意見にマウントを取ってやろうというような空中戦のような雰囲気でもない。

決して、相手を脅かさないんですよね。

でも、なにか曖昧模糊とした感じとして発言を有耶無耶にしてしまうわけでもない。

各人が持ち合わせている知的好奇心に対して、全員が純粋に駆動されている空間だなあと感じます。

しかも、それぞれの意見が異なったとしても、ちゃんとお互いに敬意を払い合っていることがダイレクトに伝わってきて、それぞれがそれぞれの親切心と勇気で会話が駆動している空間だなと思います。

それが冒頭に述べた、内田樹さんの話につながるなと思ったんです。

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これは、現代社会にはほとんど存在しない非常に稀有な空間だと思います。

学校にも会社にも地域にも、存在していない。もちろんテレビなどのマスメディアにも存在しない。

いまの若い人たちが、あのようなノリに飢えていることは間違いないかと思います。

だからこそ、多少むずかしくても、聴いてしまうではないでしょうか。

語られている知識の内容ではなく、その場に形成されている空気に触れたくて。

特に、音声というのは、映像がない分、そのことが余計にダイレクトに伝わってくる。

それがいま、あのPodcast番組が若い世代を中心に絶大なる人気を誇っている理由なんだろうなあと思うのです。

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で、だからこそ、僕らが意識するべきは、自分たちが本当に欲しい「場の空気」を自分たちの手で、手作りしてみることだろうなあと思うのです。

それがたとえ、どれだけDIY精神あふれるものであっても構わない。

それは、内田さんが語るように、決してお金がかかることではありません。

そして、そういった「場の空気」というのは、AIには絶対に作り出すことができない。一方で、コンテンツというのは、まもなくAIのほうが人間よりもつくるのが得意になることはもう間違いないでしょう。

そしてさらに、今ってそういうDIY精神に溢れたもののほうが、チャンスのある時代だと思うんですよね。

なぜなら、みんながキレイなものを観すぎたがゆえの、本音のほうに飢えている時代だからです。

少し前までは、そうはいっても、デザインや見た目が重視されてしまう世の中でした。そこに「信頼性」の担保が存在した。

でも、もうリスナーや視聴者の目がこえてきてしまったので、そんなきれいで建前だけが溢れたコンテンツには、誰もだまされなくなりましたよね。

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これから新しいコンテンツや番組、メディアやコミュニティをつくろうとするときに、これはものすごく大事な視点だと思います。

この点、Wasei Salonもそれは強く意識していて、参加希望者には、必ずWasei Salonの対話会か読書会どちらかの「体験会イベント」に参加してもらうようにしています。

これは、直観的に必ずやったほうがいいだろうなあと思っていて、初期の頃からずっと続けていることなのですが、これは僕らが重視している「場の空気」に触れてもらいたくて、行っているのだろうなあと改めて実感しました。

僕らが一体どんなことに対して、お互いに敬意を払い合いたいと思っているのかを、実際に体感してもらうため、です。

その空気が肌に合えば、サロン内に入った後も必ず楽しんでもらえるし、もし合わなければ入会しないほうが、きっとお互いのためにもなる。

もちろん、僕が毎日配信しているVoicyや、毎週配信しているオーディオブックカフェのようなPodcast番組なんかも、Wasei Salonの雰囲気、その一端を垣間見ることができるような音声メディアでありたいと思っています。

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自分たちがもとめる「場の空気」というようなものは、人間が最低3人いれば必ずつくることができる。

コテンラジオの初期のころもそうであったように。

そして繰り返しますが、お金もほとんどかからない。そのようにつくりだした「場の空気」は、簡単に世界へむけて発信することができてしまいます。

だからこそ、何か役に立つ知識でもなく、キレイで美しい作品をつくるでもなく、本当に自らが欲している「場の空気」をつくり出そうとするのがいいのではないのかなと。

そんな自分たちの「ライフスタンス」を表明するような空間がいま、強く求められているのだと思います。

それに触れて強く感銘をうけてくれたひとが、その輪の中に加わり、ひとり、またひとりという形で次第にコミュニティとしても大きくなっていく。

最終的に、何百、何千、何万人とならずとも、そこにたった数十人でも参加しているだけで、本当に自分にとって、心から満たされる空間がそこに立ち現れてくるはずです。

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この点、長らくインターネットの空間は、GAFAのようなビックテックのつくった、巨大プラットフォームが主流の時代が続き「どんなコンテンツをつくるのか?」ということばかりが話題の中心となってしまっていたように思います。

特に、2010年代から初めてインターネットに触れてきたという若いひとたちにとっては「それこそがインターネットの世界だ」と思ってしまっているかもしれません。

でもそうやって、大きなショッピングモール的に誰かがつくった場に相乗りするのではなく、もっと商店街のように、小さくとも、それぞれがそれぞれの理想的な空間を、小さく創り出していきながら活気が生まれてくるストリートのほうが、一人ひとりが幸福であることは間違いない。

そのような場を、自分たちの手で、手作りしようと立ち上がるひとたちが増えることが、世の中が本当の意味で良くなっていくことにつながると僕は信じています。

他者の役に立てば純粋に嬉しいですから、また役に立つものをつくりたいと思うようになるはず。そうすれば自然とコンテンツの内容もついてくるでしょう。

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大事なことは、最初から他者の役に立とうとはしないことです。

それだと絶対に続かないし、マーケットイン的な発想となってしまって、ドンドン俗物的なものになっていく。そういったものはもう現代に溢れかえっています。

そうではなく、自分たちが本当に欲している「場の空気」を私自身で体現してみること。

繰り返しますが、3人いれば必ず実現できる。

最悪2人でも始められると思います。ぜひ、実際につくってみてください。

今日のお話が、いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、何かを始めてみるきっかけとなったら幸いです。