近年の東京において、わかりやすく色がある街といえば、西荻窪や蔵前あたりだと思います。



あと最近であれば、下北沢〜世田谷代田あたりなんかも似たような色がありますよね。代々木上原〜幡ヶ谷周辺なんかも、非常にわかりやすい文化圏がある街だと思います。

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これが15〜20年ぐらい前までは、中目黒とか吉祥寺あたりでした。

でも、そのあたりのエリアが少しずつマス化していくと、その町から追い出されるようにして、最初にその街で文化感を形成していた人たちが中心から少しずつズレていく。

比較的、都内の中では賃料が安く、どの駅からも適度に遠くて、わざわざ訪れる目的地にしない限り訪れない場所にうつっていく。

つまり、いわゆるマス層のお客さんから遠く離れようとしてくわけですよね。

この点、最近はInstagramなどが発展してしまった分、インスタ映えしてしまうと、それでもマス層の人達がやってきてしまうという声もよく聞かれますが、それでもいわゆる知名度の高い駅周辺に出店する場合とは、全くことなる客層になることは明らかです。

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そうやって、町の文化というのは、ある意味で地政学的に逃げてきた歴史がある。自然とそうなる構造にあると言い換えてもいいかもしれません。

テレビで取り上げられたり、観光ガイドブックで取り上げられて訪れるひとが増えてマス化すると、どうしても面倒くさいお客さんや、店員さん(働く人)が増えてしまいますからね。

この面倒くさい人々から逃れるために、どうすればいいのかを運営者側は淡々と考え続けているということなのでしょう。

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で、その手段として一つ目は非常に簡単で、ラグジュアリーになることです。

お客さん側が払える金額でサクッと足切りをしてしまう。

お金が払えるひとは一般的なマナーがあるレベルを超えていると想定した上で、価格帯をグッと上げてしまう。

東京だと青山、赤坂、麻布あたりの街が、そのような手法で成り立っている街ですよね。

とはいえ、こっちは同伴のようなお客さんも増えてしまうから、成金が多くて、それはそれで雰囲気が壊れてしまいあまり好きじゃないと感じている人も多い。

単純に運が良くて富裕層になっただけにも関わらず、自らが成功者であると勘違いしている傲慢なひとも多くなりますから。

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もうひとつの手段は、最初に説明したようにマス層のお客さんがたどり着けない(わざわざ行きたいと思えない)ところにつくること。

駅から遠くて、集まってきてくれるひとたちだけが集まればいいというような。

そして、そのような場所で伝わる人にはちゃんと伝わる形で、小さくPRをしていく。

具体的には内装や揃えているお酒などの種類でメタ・メッセージを発信し、通っている常連さんたちの口コミによって少しずつ、広げていくというような形です。

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で、こういう物理的な距離感によるある種の排他性を作り出すのは、これまでインターネット上では不可能でした。

なぜなら、クリックひとつでリンク先に飛べてしまうからです。

誰もがすぐさま、その場所にワープできてしまうわけですよね。そして何でもかんでもすべてが「無料」だったことも、その大きな弊害でした。

結果として、招かれざる客までその場を野次馬のように訪れて、炎上しなくてもいい案件まで炎上させられてきたわけです。

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まさにこれまでのインターネットというのは、そんな新宿や渋谷、池袋のような場所だったわけです。

GAFAなどのビックテックが作り出す無料のプラットフォームというのは、新宿や渋谷、池袋になっていくような宿命を帯びてしまっている。ターミナル駅というのは、そういうことです。

そのようなカオスの人混みが好きな人もいれば、人混みに疲れてしまうひともいることは間違いない。

そこで、NFTの登場なのだと思います。

ここは、金額だけではなく「文化資本」で足切りをすることができる。

以前も、下記のブログに書きましたが、この点が非常に革命的なのでしょうね。

つまり、インターネット上に西荻窪や蔵前のような街を人工的につくりだすことができるのです。


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もちろん、NFTを手に入れるために、多少のお金はかかるけれど、それは決して富裕層ではなくとも持ち出せる金額感です。

飲食店でいうと、1人あたり5千円〜1万円ぐらいの客単価のお店のあり方に非常によく似ている。

そして、ある程度カジュアルな要素も保たれています。決してラグジュアリーやフォーマルなど、格式高い感じがそこに存在しているわけでもない。

そのなかに立ち現れていくる「自然な文化感をみんなで楽しみましょう」というような。

上記の記事内でも以前ご紹介したことがある、100分de名著「ブルデュー『ディスタンクシオン』」の回の中で展開されていた「四象限のフリップ」の話を再びここでご紹介してみると、

1.経済資本あり+文化資本あり=貴族

2.経済資本あり+文化資本なし=成金

3.経済資本なし+文化資本あり=学ぶ意欲のある人間

4.経済資本なし+文化資本なし=学ぶ意欲のない人間


この3番目にあたるひとたちが集まれる空間を、インターネット上でもやっと創り出していく下地が整ったということなのだと思います。

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この点、最近あきらかに「環境の違い」について言及するひとが増えましたよね。

それは、もう日本は一億総中流ではないことを、広くみんなが自覚し始めている証でもあるかと思います。

それぞれのエリアごとに明確に細分化し始めている。

僕が長い間購読しているとある有料メルマガの中で、「現代は『パンとサーカス』ではなく『チェーン店とスマートフォン』になっている」という話が書かれてあり、非常に膝を打ちました。

まさにそのようなチェーン店とスマートフォンに報酬系が完全にハックされてしまっているひとびとから、距離をおきたいと考える人たちが間違いなく増えている。

とはいえ、ラグジュアリーになりたいわけではない。それはそれで違和感がある。

この「チェーン店とスマートフォン」そして「金銭欲」に溺れたくないと思う人たちが集う場所が今、オンライン上にも、少しずつ増えてきているということなのだろうなあと思います。

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学習意欲もあり、文化資本を持ち合わせている人々が心地よく暮らしていきたいと思ったときに集まることができる場。

そのような「場の空気」を作り出すことがリアルでもバーチャルでも、今強く求められているということなのだと思います。

NFTは「コミュニティの参加券」という機能も持ち合わせているため、これが着々と浸透していけば、東京のそれぞれの駅や街が見事に細分化されているように、3〜5年後ぐらいには、インターネット上でも、今以上にかなりの棲み分けが進んでいるように思います。

もはや、それぞれが出会うことさえなくなる日がやって来てもおかしくない。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。