近年、事業(プロジェクト)の川上から携わることができる商品が流行り始めています。

従来なら、企業やブランドに丸投げしかったようなこと(生産背景や製造工程)に対して、わざわざ自分の身銭と時間を費やして、あえて川上から携わりたがる消費者が増えている。

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この現象をバーベキューやキャンプに見立てて、あえて不便を受け入れることで、そこから見える景色をSNSにあげたいからだと考えるひとや、

「機会消費」と呼ばれるように、そうすることで自分自身がドキュメンタリー番組の主人公のように振る舞えて、やりがいを感じられるからだと捉えるひともいます。

どちらの主張も、共通しているのは「個人の満足感」から生まれてくる欲求であるということ。

たしかに、そういう見方もできるかと思います。

ただ、それ以上に、透明化や見える化することで、「正しく行われて欲しい」という願いもあるように見える。

ある種の破壊衝動の捌け口が、川上から携わることとして機能している側面もあると思うのです。

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この破壊衝動は、幕末から明治にかけてはその対象が「政治」だった。

その結果、時の政権である江戸幕府が倒れて「政治の民主化」に繋がった。

それが今の世では、企業の生産活動や販売活動に移ってきているのだと思います。

資本主義のブラックボックス化にNOを突きつける、


つまり「資本の民主化」の流れです。


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そんなふうに考えてくると、もう個人主義から生まれてくるニーズ(需要)やコスト(経済価値)の満足感という前提自体が、終焉を迎えているのかもしれない。

それよりも、教科書的な押し付けられた正解に対して、そこに書かれている「理想」と、実際に自分の目の前に広がる「現実」との乖離から生まれているズレ。

そのズレに対して、自己が感じるこの違和感をなんとかして解消したい、そして納得したい。

そこに一番興味がある。

つまりその「納得感」を得るために、自己の時間とお金を使いたいという若いひとが今ドンドン増えているのかなあと。

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この納得感が浸透(蔓延)するまでは、この資本の民主化の気運はしばらく続きそうです。

もしくは、それ以上に熱狂できる享楽的なことが、世界中にばら撒かられるかのどちらか(それはきっとバーチャルの世界)でしょう。

ものすごく抽象的な話ではありますが、そんなことを考える今日このごろ。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。


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