僕らはどうしても、自分の生きづらさの原因を考えるときに、「自分よりも恵まれている人間が搾取しているからだ」と思い込んでしまいがち。

しかし、自分から見て形式的、外形的に恵まれている(優位にある)ように見える立場であっても、その人や集団が必ずしも内面的、精神的にも満たされているとは限らない。

むしろ、同じ時代に生きていれば、似たような景色を眺めている可能性は非常に高くて、どちらの目の前にもそれぞれの個別化された悩みや苦しみが広がっている。

それが世の常です。

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これは何も古い歴史を一生懸命遡らなくたって、自分のこれまでの経験を振り返ってみれば、きっと一目瞭然だと思います。

多くのひとにとって、子供時代に一度や二度は「大人はズルい」と思っていたはず。

しかし、大人になっても変わらずに悩みや不安が存在していた。

また、子供時代に抱えていた大人を忌み嫌う態度が、気づけば今度は自分にその矛先が向けられていることにも気づくはず。

このとき初めて、大人が子供に比べて圧倒的な優位な地位にいるなんてことはなかったことを、本当の意味で理解したと思います。

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にも関わらず、僕らは外形的、形式的に恵まれている(ように見えるもの)という理由だけで、生きづらさの原因をそちらに向けて、感情的な争いを繰り返してしまう。

両者の立場が簡単には覆らないものほど、この作用はドンドン強くなる。

生まれ持った圧倒的な階級(所得)格差や、人種やジェンダーなどは、とてもわかりやすい例だと思います。

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この世で本当の意味で恵まれている人間なんて、誰一人として存在しない。

生きとし生けるもの全員が、必ず苦しみの中にいる。これは100%断言してもいいです。

「正義の反対は、また別の正義」というように、「悩みや不安の反対は、また別の悩みや不安」なのだと思います。

そうであるならば、相手がどのような悩みや不安を抱えているのか、

どうすれば、同時代を生きる人間として、それらの悩みや不安を共に解消していけるのか、

分断や対立をイタズラに煽らずに、そちらのほうに意識を向けていきたいと僕は思います。

これからも、そのために必要なコンテンツや対話の空間とは何かを、ここで真剣に考えていきたい。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考になったら幸いです。

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