時代における世の中の倫理は道徳は、これからドンドン変容していくと思います。

だから、今の時代の倫理において、過去の時代の言動などを裁こうとするのは、地味にかなり危険な行為だなあと僕は思う。

たとえば、これはよく言われる話ですが、織田信長などの戦国武将も、現代の倫理の基準で考えると、大虐殺の極悪人です。

でも当時は、当時の倫理があった。

だから僕らは、現代の倫理とはしっかりと切り分けて、彼らのことを大虐殺の悪人ではなく、別の視点から評価することができるわけですよね。

それと似たようなことが、これからは短期間の中で頻繁に起きてくるはずです。

もちろん、その流れの変化を敏感に察知し、その変化に対応していくことも非常に重要であって、現代人のマナー、いやそれを通り越して、ある種の義務になってくると思うのだけれども、一方でだからこそ、自分のブレない軸や、自分で考えた意見を持つこと、それをそれを他者とシェアしていくことも、非常に大切になってくるかと思います。

それは一体なぜなのか、今日はそんなお話を少しだけ。

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この点、現在の2020年代というのは、100年前の1920年代にたとえられることが最近は多いです。

1920年代は、第一次世界対戦が終わった直後であり、日本では大正デモクラシーがあって、世界大恐慌と関東大震災もあり、戦前の日本における、その倫理や道徳の基準が大きく移り変わって揺らいでいた時期でもある。

現代と重なり合う部分も多く、世の中の機運としてはとても似たような状況下にあったということなんでしょうね。

1920年代も今の2020年代も、どちらも決して、安定の時代ではなかったんだと思います。

その変化に、自分が合わせていくことはもちろん大事な一方で、それがただ単に空気を読むだけでもダメなはずで。

なぜなら、それが当時は第二次世界大戦へともつながっていたわけですから。

それよりも、自分は「ここに、漠然とした違和感がある」「本当はこうじゃなくて、こうなんじゃないか」という自分なりの仮説をしっかりともって、それを他者と共に多少の緊張感も伴う中であっても、語り合うような場が存在していることが本当に大事だんだろうなと思います。

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この点、僕自身、絶対に表では書けないような事柄をこのサロン内のタイムラインの中に日々書き込んでいたりします。

それはときに現代の倫理観と照らし合わせれば、完全に人格が疑われるような内容でもあるんだけれども、僕は他者から「あいつは人格破綻者だ!」と思われることを、全然気にしていないんだなと、最近ふと気が付きました。

それよりも、そうやって周囲から人格破綻者、社会不適合者だと思われないようにと必死になって、自分の考えや信念のほうを曲げてしまうことを極度に恐れているんだと思います。

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でも普通はきっと、自分の考えのほうを簡単に曲げてしまい「あのひとは人格者だ!」と周囲から太鼓判を押してもらうことのほうに、人間は安心感を覚えるのかもしれません。

それこそが、世の中の「空気」に従うということでもありますからね。でも、繰り返しますが、僕にとっては、それこそが一番恐れていることなのです。

昔からインターネットで発信しているひとは、きっとこちら側のスタンスの人も多い。その最たるはイーロン・マスクのような存在だと思います。

もちろん、どこで何を言ったら世間から怒られてしまうのかは、それは過去に何度もネット上で炎上してきて、自らの経験を通して少しずつ理解してきているから、なるべくそのような場は避けるようにはしているけれど、人格破綻者と言われようとなんと思われようと、自分の考えていることを曲げる気は、最初から1ミリもない。本当に1ミリもないです。

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で、きっと本当に大事なことは、炎上しそうなことは「内心の自由」にとどめて一切発信しないという「処世術」なんかではなく、発信する場所を適宜適切に選び取るということが、これからは大切になってくるんだろうなと。

そして、そのような本音を書く場所、しっかりと語れる場所を自分たちの手で、共につくり上げて、それを共に死守すること。

日々の中で感じる「違和感」や「自分はこうあって欲しいと願う」と思うことなども素直に言語化して、他者に伝えようとしてみたほうがいいと思います。

決してそれは、誰か目のまえの相手を打ちのめしたりするための論破としてではなく、お互いに考えていることをしっかりと認識し合うために、です。

そんなふうに、各人ごとに、まったく別々の倫理観があると理解し合いながら、お互いを尊重できる場があることが、いま本当に重要だなと感じます。

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さもないと、身近な他者や同じ日本人が腹の底で一体何を考えているのかも全くわからなくなってしまう。

ニコニコしていると思って、これは許容してくれているサインだと思ったら、手にはナイフを持っていて突然ブスッと刺されるみたいなことだって起こりかねない。

だから、僕がつくりたいのは、常に自分が思っている本音ベースを語れる場。

もうオープンの場では、それが絶対に不可能な時代に突入してしまったから、です。

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この点、同じような意見だけの人々で集うことは衆愚化に向かうだけであって、本当に百害あって一利なしだと思います。

それが、破滅的な結果につながることは、歴史が既に証明してくれている。僕らは、ちゃんとそんな先人たちの失敗に対して敬意を払い、決して同じ轍を踏んではいけないと思います。

また、それを誰かがつくり出してくれて、ただそれを享受しているという状況であるだけではダメなんです。

他者から授けられるもの、与えられるものというような「所与のもの」として受け止めるのではなく、そのような空間は、自分たちの意志と行動をもって作り上げていくんだという矜持を、その場に集うひとりひとりが、実際に持っているかどうか。

もちろんそれというのは、自分が言いたいことを、言いたい放題に言い放つことではなく、他のひとの主張する権利や機会を、自分こそが徹底して守っているんだという「受け取る」ことへの決意なんだと思います。

その場にいるひとりひとりが、そうやってそれぞれの意志によってつくり上げている姿勢みたいなものを持ち寄り、それが他者にもしっかりと伝わっていけば、相手だってきっと、自分に対して同じように接してくれるという信頼感を持てるから、何事も本音ベースで語り合うことが、少しずつでも可能になってくるはずで。

それこそがまさに、コミュニティづくりや民主主義の根本にある事柄でもあるかと思っています。

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そして、こういうときにこそ僕は「勇気と思いやりのバランスを保つこと、それが成熟だ」というあの有名な言葉が、ものすごく深く心に刺さるなあと感じています。

他者に対する思いやりとは、決して他者の考えに流され、それに洗脳されてあげることではない。

他者の考えと、自己の考えをしっかりと同時に両立させて、どちらも同程度に尊重し、敬意を払うことができる、それが本当の成熟だと僕は思います。

単純に相手に迎合し、常に相手の顔色を伺い、相手の意見に自分自身が染まり切ってしまうことは思いやりでもなんでもない、ただの怠惰です。

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さて、ここで冒頭の話に戻ると、きっとこれからの世の中は本当に圧倒的なスピードで変化していくはずです。

「AI」による大変革が、社会の変化それ自体も間違いなく強く後押ししていく。

数十年単位で変化するはずだった時代の倫理も、きっと数年単位で変化していく。

これまでの人類であれば、一生に一度体験するかしないかぐらいのパラダイムシフトを、10年〜20年ぐらいに1回ぐらいの頻度で僕らは経験するはず。そして、そのたびに天地がひっくり返るような衝撃を味わい続けるのがきっと僕らの世代の宿命なんです。

昨日まで許されていたどころか、奨励されていたことが、明日にはタブー化し、それが吊し上げの対象となるというようなイメージであって、全員がキャンセルされる対象にもなりえる。

その歯止めが、本来は法律であるはずなんだけれども、でもその法律の変更というのも、めちゃくちゃ遅いはずなので、きっと僕らが生きているうちにはこのスピードに適した法に改正されることもない。法改正は、常に後手後手にまわるはずです。

つまり、ある意味では「無法地帯」を生きるのが僕らの世代の宿命でもあると思う。

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そのような時流の変化において、もちろん一番安全なことは、自らが完全に世間の空気と一致し、風見鶏のようになってしまうことです。

世論の多数派の意見こそが、私の意見であるとして、世間と自己が常に一致するように動き続けること。

戦前の日本のように、天皇が現人神だと言われたらそれを信じ、大東亜帝国を築くことが世界を救うことにつながるのだと言われたらそれを盲目的に信じて、戦場に向かうこと。

でも、それっていうのは自らを殺してしまうことにも等しいかと思います。少なくとも、僕にはそんなことは絶対にできない。

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ゆえに、自分にとって本当に大事だと思うことを、意見が異なるひとたちと冷静に対話することができる場、そのようなアジールを今から淡々ととつくり出しておくことのほうが、漠然とした発信力を持つことや大資本を築くことよりも、よっぽど重要なことだと思います。

このようなアジールをそれぞれに持たなければ、世論の圧倒的な倫理、そして時代の空気に流されるほかなくなってしまいますから。

今からせっせと、そして淡々と、そのような場をここに参加してくださっているみなさんと一緒に手づくりしていくことができたら嬉しいなあと思っています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。