今朝、こんなツイートをしてみました。

今の人々の価値観軸や評価軸のまま、その対象物だけが増えると思うのだけれども、そんなわけはなくて。

そこに希少性があるからこそ、ひとの「詳しくなろう!」というインセンティブも働くけれど、無限に安価で生み出されるものは、誰もそのありがたみを理解できなくなり、見向きもされなくなる。

だから、生産環境よりも、人々の「好奇心」の変化のほうが圧倒的に重要です。

逆にいうと、安価に無限につくれるものになった瞬間、人々の興味関心は別のところへ移っていってしまう。

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僕は小学生の頃から、ファッションというジャンルに興味を持ち続けてきました。

ゆえに2010年代に、みんな(世間)がソレにまったく興味を持たなくなったときのことを、今でもはっきりと憶えています。

たとえば、色落ちのデニム。

きれいな色落ちデニムは、若い子たちみんなの憧れのアイテムでした。でも、今はユニクロ、いやジーユーで非常にクオリティの高いものが非常に安価で売っている。

これからは、みんながデニムを楽しめる夢のような時代がやってくると思ったら、実際はその真逆でした。

デニムが空気みたいなものになってしまった。その結果、誰も見向きもしなくなる。

もちろん、自分でリジットの生デニムを買ってきて、一生懸命、お風呂場で色落ちを頑張っている若い子なんてまずいない。

いま残っているのは、当時から好きだったひとたちだけです。

彼らの収入が増えて、現存するアイテム数も減る中で、骨董品のようになっていって、ヴィンテージのデニムひとつひとつの単価は確かにあがっているかもしれないけれど、新しいひとが入ってこないんですから、デニムの市場自体も縮小傾向になるのは当然だと思います。

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このように、みんなが、いつの時代も受け取って喜ぶのは「希少性」なんだっていう事実を、これからのAI時代を生きる僕らは、本当によくよく考えないといけない。

たとえ、いま本当に喉から手が出るほど欲しいと思っていた物が、身近なひとからプレゼントしてらえるようになっても、絶対にひとは喜ばなくなるはずです。

今の僕らからすると、とても考えられないような世界観だけれども、絶対にそうなる。

AIによって、相手が今一番欲しいものが寸分違わず3秒で答えが帰ってくる世界観というのは、それぐらい僕らのコミュニケーション自体をガラッと変えてしまう。

でも逆に言うと、常に「希少性の表現の仕方」が変わるだけ、とも言えるわけです。

ひとが常に求めているのは、その希少性の矢印の方向、入れ物となる表現方法の違いだけなんですよね。

この点、僕はよく、歌手が自分に向けて「ハッピーバースデー」の歌を歌ってくれる、その宛名が自分になっているだけで狂喜乱舞する様子が本当に不思議だなあと思いながら眺めていました。

たった一箇所、自分の名前になっただけで、自分宛てだと思って喜んでしまえる力が人間にはある。

そして、たぶんこれからはAIの合成音声で自分のフルネームに改変させてもらった聞かせてもらえるようになるはずです。

それは、本人のライブ音声よりも、かなり上手な可能性さえあります。

でも、やっぱりそんなもので、人間は絶対に満足しなくて。

相手が自分のことを認知して、相手の”生”の限りある時間の中で、他でもないこの私のために歌ってくれているという「希少性」に価値を感じて、狂喜乱舞しているわけですよね。

発露された「歌自体」を求めているようで、実際は歌自体はその出がらしにすぎなくて、僕らが本当に求めているのは、その希少価値のほうなんです。

いま、たまたまプレゼントにおいて、その希少性を発露させるものが給料3ヶ月分の指輪とか、長い時間をかけて調べないと絶対にわからないものだったりする、というだけ。

だとすれば、やっぱり、そのひとつは「時間」になるということなんでしょうね。

昔、VALUと同じようなサービスとして、当時メタップスの佐藤さんがつくった「タイムバンク」というサービスがありましたが、あれも似たような発想だったかと思います。

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人間が不老不死を獲得するまでは「時間」だけが変わらずに、そこに希少価値が残り続ける。

あと、更にこれから価値が高まるのは、集団内の「関係性」や、そこから生み出されてくる「共同幻想」にもっともっと価値が高まるようになってくるでしょう。

つまり特定の集団内における「神」概念のようなものに、また価値が高まってくるフェーズがやってくる。

なぜなら、逆説的ですが、ありとあらゆるものの希少価値自体が薄れていくからこそ、周囲の信頼のおける人々が「これには価値がある」と言っているものが、その集団内で価値があるものに変わっていくからです。NFTなんて、その最たる例。

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このような激動の時代変化の中で、いま価値あるものが安価で無限につくれるようになるんだから「それを大量生産したら、絶対に儲かるじゃないか!」という発想が一番ダメな発想です。

供給過多によって、その希少価値がまるっきり変わるときにこそ、次に向かう希少価値の先、そして「そもそも希少価値とは一体何なのか」ということを徹底的に考える、つまり矢印を反転させる必要がある。

具体的には、いま価値あるものが無限に創造できる時代になったとき、僕らは次に何をお互いのメッセージの入れ物として用いて、互いに求め合うのか、それを今から淡々と考えておかなければいけない。

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昔の日本では、土地やお米が貨幣以上の価値を持っていたことを、決して忘れないで。

現代はそれらには何の価値もない。ただの空気のように存在するものとなっているはず。なんだったら、そのへんで当たり前のように毎日捨てられている。

いま、真に価値のあるフォロワー数とかもなかなかに手に入りにくいものだから、みんなが必死で追い求めているだけですよね。

じゃあそんな世界線に変わっていくときに、一体何に意識を向ける必要があるのかと言えば、ひとつは「ルールメイカー」になることだと思います。

極端な話、千利休のように「私が価値がある」といったから「これには価値があるんだ」とまわりの人々が勝手に思ってしまう、そんな「ものさし」としての役割を集団に対して作用できるかどうか。

この点、ファッションは死んでも、ロゴアイテムだけは生き残った。

それは、なぜか。InstagramやYou Tubeというゲーム内における、強い表現物(武器)になりえたからです。

だからロゴ系のアイテムや、シルエットによってすぐに「どこどこの〇〇だ」と理解できるものは生き残った。

その希少性を表現したいと思う「記号」、そのメタ・メッセージを込めたいという人間の根源的な欲求はどの時代も絶対に変わらない。

それを理解することのほうが本当に大事。今、人々がそんなメタ・メッセージを乗せるのに最適な入れ物とは何のか?

時間とルールを制限するからこそ、そこに熱狂が生まれていく。

希少性に大変革が起こるタイミングにおいて、いまルールメイカーが求められることは間違いない。

これからの人間が何に価値を感じるのかを考えておくことは、本当に大事になってくることだと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。